ヒカキンさんにアルミホイル玉を買ってもらったキッズの反応www

なにこれかわいい!和みました。

…って言っても1年くらい前の動画なんですけどね。

ちゃんと台本を書いて読んでいるところから、他のYouTubeキッズたちとの差を感じました。

元気よくハキハキ話せているし、ピュアな笑顔が最高にキュートですね。これからも楽しくYouTubeを続けて欲しいです。

撮影中の彼の横で兄弟?がYouTubeを観ている音が聞こえてくるところも非常に和みます。かわいいですね。

ちなみにヒカキンさんがこの子から買ったアルミホイル玉を紹介している動画はこちらです。

動画を通して色んなアプローチで多くの人に夢を見させてくれるヒカキンさんって、やっぱり凄いですよね。全国の子供たちに愛されている理由が分かります。

オマケ

…それにしても、低評価や質の低いコメントが目立ちますね。

恐らく他のヒカキンキッズたちの嫉妬だったり、子どもの動画だと反射的に低評価やクソコメを残す哀れな大人たちの感情が具現化しているのでしょう。

こういう人たちは、相当インパクトの強いきっかけでもない限り、一生こんな感じで嫉妬や誹謗中傷にまみれた人生を歩むんでしょうね。

これこそ本当の意味でのインキャですね。南無阿弥陀仏。

「30過ぎたオッサン」とかいうエイジハラスメント的コメントが嫌い。

ヒカキンさん、30歳のお誕生日おめでとうございます!気づけば10年くらいあなたの動画を観ています。これからも応援しています!

こんなにイケてる30代はなかなかいませんよね…。同じ平成生まれとして誇りに思いますし、自分もがんばらなければ!と身の引き締まる思いです。

30代は何かと「オッサン」とバカにされがちだけど…。

さて、ヒカキンさんも動画内で触れていますが、30歳になるのって正直うれしくないですよね?

20歳になる時は「大人になれた気がする!」「お酒が飲める!」「自由だ!」と何もかもが嬉しくてワクワクしたのに、30歳になるのはどうも様子が違います。

(まぁ自分はまだ30歳になったことがないのですが…)

これ、何故だと思いますか?

自分は世の中の雰囲気だと思っています。

30代になると、世間的には「オッサン」「オバサン」といった扱いになります。

自分ではまだ若いつもりでも、世の中の雰囲気がそうなんですし、そういう扱いを受けるわけですから、「自分はもう歳だな〜」と勘違いしてしまうのも無理はありません。

一種の洗脳ですよね。

「オッサンが夢見てんじゃねぇよ!」

「オバサンは慎ましく生きろよ!」

…とか。高齢化社会の日本における同調圧力でもありますね。「ワシらはもう歳だしお前もオッサンなんだから諦めろ」といった具合です。

そんな感じで、30代になるといきなり「オッサン」とバカにされるようになります。

自分はこの風潮が大嫌いです。

30代ってまだまだ元気だし、人間的にも成熟してきて人生が特に楽しくなってくる時期じゃないですか。

そんな右肩上がりになる絶好調の段階なのに、世間からは「オッサン」「オバサン」というレッテルを貼られ、壮大な夢や目標に向かって行動していると否定されてしまいます。

こういうの、本ッッッ当に気持ち悪いと思うんですよ。

そもそも、「30過ぎたオッサン」とかいう言葉はエイジハラスメントですからね。こういう類の言葉を使う人、死ぬほど嫌いです。

夢を追いかけたり、何かに夢中になったりするのに年齢は関係ありません。

60歳からギターを始めたとしても、90歳まで生きて続ければ30年も楽しむことができます。青春を謳歌するのに年齢は関係ないんですよ。

いくつになっても挑戦する姿勢のある人は素晴らしいのに、同調圧力によって出る杭を打つ日本の空気感、本当に大嫌いです。

ってか、ヒカキンさんを見ていても分かりますが、メチャクチャ若々しいじゃないですか。

何かに夢中になって全力で打ち込んでいる人は、年齢問わず若々しいんですよ。松岡修造さんやイチローさんにも同じことが言えますね。

最後に

我々は30代、40代、50代、…、になっても新しいことを受け入れて、かつ挑戦する姿勢を失わずに生きましょう!

たぶんそういう生き方をしていれば、自虐的な意味で自分を「オッサン」と表現することはあっても、他人を「30過ぎたオッサン」とは言わないと思うんですよね。

【LINE】仕事や友達同士のやりとりでは「ありがとう」「最後のスタンプ」が超重要。【メール】

仕事仲間や友達同士など、気の置けない関係の中ではLINEやメールのやりとりをぞんざいにしていませんか?

「親しき仲にも礼儀あり」という言葉の通り、仲が良くても礼儀はしっかり意識しましょう。仲が良いことと気を遣わないことはイコールではありません。

そこで今回は、普段から仕事仲間や友達同士でのやりとりをする中で、個人的に「なんだコイツ舐めてんな」と思ってしまうLINEやメールでの場面を紹介します。

【要返信】自分から返信をお願いしてきたのに返信してもお礼が言えない

会議や飲み会の出欠席、遊びや旅行のお誘いなど、他人から回答(返信)を要求されるシーンは多々あります。

そんな時に、回答してもお礼の一言やスタンプがないと、ちょっと違和感を覚えます。

メールだと既読もつかないので自分の出欠席が把握されているか分かりませんし、LINEだったとしても既読がついたとしても適当に読み飛ばされている印象を受けます。

そもそも、自分(相手)から回答の「お願い」をしていて、そのお願いに自分(私)が応えているにも関わらず、お礼の一言がないのには違和感があります。

食事中に「醤油とってー」と頼んで取ってもらったのに、何も言わずに受け取ってしまう人と同じです。

何だか無愛想というか、やってもらって当たり前というか、偉そうな印象を受けますよね。

これと同じで、要返信のメールやLINEに返信した時に「ありがとう!」やそれ相応のスタンプなどのレスポンスがないと、その人には適当で偉そうな態度を感じます。

自分は他人の予定を確認したり、回答を求めた時に相手から回答が返ってきたら、必ず「ありがとう」を伝えるようにしています。

また、遊びや旅行のお誘いを受けたら、まず「お誘いありがとう」、飲み会や会議の出欠席の回答を求められたら「(飲み会or会議の)企画運営ありがとう」と伝えます。

こうすると、素直な後輩くんは「温かい言葉をかけていただき、ありがとうございます!」と喜んでくれます。かわいいですね。

こういう一言があるだけで、コミュニケーションって簡単に円滑になるんですよ。みんな「ありがとう」が言えないし、伝えられない。もったいないことです。

LINEの最後は既読無視

恐らく本人はそのつもりはないんでしょうが、LINEでの会話が終わる時に、終了の合図?もなく相手の既読で終わることに、違和感を覚えることがあります。

終了の合図というのは具体的に言うと…。

「じゃあまた明日!」

「楽しみにしてるね」

「よろしくお願いします」

「おやすみ」

…といったところでしょうか。

相手がしこたまLINEを送ってきた後に、自分が何らかのレスポンスをすると既読がついて会話が終了する…。なんか適当にあしらわれている印象を受けてしまいますね。

これが電話だったら、だいたい最後は「失礼いたします」とかそれ相応の言葉で会話が終わるじゃないですか。

LINEでもそれと同じように会話を締めくくることができない人に、どうしても違和感を覚えてしまうんですよね。

楽しく会話していたのに、最後に既読がついて終了してしまうと、最後の最後で無視されて終わったような、残念な気分になります。

明確に会話を終わらせて、気持ち良くコミュニケーションを取りたいですよ。そのためにはやっぱり最後の一言は大切ですよね。

「そんなのめんどくさい」という人もいるかもしれませんが、

「じゃあまた明日!」

「楽しみにしてるね」

「よろしくお願いします」

「おやすみ」

これらの一言を入力するのなんて、3秒あれば出来るじゃないですか。スタンプを使えば1秒も掛かりません。

そういう小さな手間を惜しむから、あなたはモテないし仕事が出来ないんですよ、と声を大にして言っておきますよ。

LINEでの「最後のスタンプ」、超重要ですよ。少なくとも自分はそうしたいと思っていますし、最後をしっかり締めくくれない人には良い印象を受けません。

最後に

…ということで、今回は仕事や友達同士でのやりとりで「なんだコイツ舐めてんな」と思う場面を紹介しました。

要約すると、

「ありがとうをちゃんと言え!」

「会話はちゃと締めくくってから終えろ!」

ってことです。

こういう細かい気配りが、小さな歯車にまで潤滑油を行き渡らせて機械全体をスムーズに動かしてくれるかのように、あなたのコミュニケーション能力に活きてきます。

え?「そういうお前も出来ていないじゃん!」ですって??ええ、おっしゃる通りですよ。

まぁ自分は礼儀がなっていない人にも礼儀正しく振る舞えるほど人間が出来ているわけではありませんから…。省エネですよ、省エネ。

もしこのブログを読んでいる方の中で、自分から適当な扱いを受けたことがあるという方は、あなた自身の行動を振り返ってみて下さいな。

優れたクリエイターは「お金は汚い」観念を無視してお金を稼いでください。

ファンクラブなどの有料コンテンツを展開した途端に「失望した」「ファン辞めるわ」と騒ぎ立てる人がいますが、あれ、本当のファンじゃないので無視しましょう。

なぜ自分の好きなコンテンツを提供してくれるクリエイターを、資金的な意味でも応援できることに対して失望するのか?理解に苦しみます。

むしろ今まで以上に彼らを応援できる要素が増えるし、提供されるコンテンツも充実するんですから、喜ぶのが普通ですよね。

そもそも、有料コンテンツによって資金を回収して、より良いコンテンツを提供しようとする姿勢はクリエイターの鏡ですよ。

それでも多くの人が有料コンテンツに対して「失望した」「ファン辞めるわ」と騒ぐのには、ある理由があります。

彼らは本当に失望しているんじゃなくて、身銭を切るのが嫌なだけなんですよ。お金がないから心にも余裕がなく、有料コンテンツに難色を示します。

でも、いくらお金がなかったとしても、毎月数百円の会員料金を払うのなんて、小学生のお小遣いでも出来るじゃないですか?

ましてや大人ともなれば、毎月数百円の出費なんて痛くも痒くもないじゃないですか。月に1回だけ牛肉を我慢して鶏ムネ肉を食べれば、難なくやりくりできます。

それなのに有料コンテンツを毛嫌いしている人って…。昔からある「お金は汚い」観念に縛られている人間なんですよね。

学生や浪人生を見ると反射的に「そんなことをしているヒマがあったら勉強しろ」と言う人と同じで、「お金は汚い」という観念から有料コンテンツを反射的に否定するんです。

特に今は無料で何でも楽しめる時代ですからね。YouTubeしかりSNSしかり。それを可能にしている企業の広告や案件の力は偉大です。

ホリエモンこと堀江貴文さんをはじめ、多くの著名人も「近い将来あらゆるモノが無料になるだろう」と予測しています。

そんな時代の流れも相まって、今後も「お金は汚い」観念を持った人がもっと増えていく傾向にあるでしょう。

誰にでも「価値のあるコンテンツ」は作れる

様々なモノが無償化されているこれからの世の中では、「本当に価値のあるコンテンツ」にしかお金が集まらなくなります。

前述した通り「お金は汚い」観念を持った人も、ますます増えていくことでしょう。

…こう言うとコンテンツを作ることのハードルがどんどん高くなっていく気がしますが、自分はそうは思っていません。

というのも、誰にだって素晴らしい個性があるんだから、ちゃんと努力すれば「価値のあるコンテンツ」は作れると思うんですよ。

絶望的に頭が悪くても、それを面白おかしくキャラクター付けして動画を作ったり、タレントとして番組に出演すれば、それは間違いなく「価値のあるコンテンツ」になります。

「自分には何もできない!」と言う人が、やりたいことを見つけてゼロから始めて上達していく過程を動画やブログで記録していけば、その人の生き方そのものがコンテンツになります。

要は「自分をコンテンツにする努力」をすれば、誰でも「価値のあるコンテンツ」を提供できるクリエイターになれるんですよ、という話です。

人間は生きているだけで面白いんですよ。じゃなかったら、親は子供の成長の過程を写真や動画に収めようとしないじゃないですか。

みんな、もっと自分の生活をコンテンツ化した方が良いですよね。

そうすれば誰にだってファンができるし、自ずと面白い生き方をしようと試行錯誤せざるを得ないので、基本的に良いことしかありません。

そしてファンが沢山ついて、自分のできることの幅を広げてコンテンツを充実させたいからこそ、手段として「有料コンテンツ」を提供するんです。

…いかがでしょう?あからさまなボッタクリやファンからの金の巻き上げを除けば、基本的に有料コンテンツは前向きでクリエイティブな意志の表れなんですよ。

それを否定するなんてとんでもない!「お金は汚い」観念こそ、汚い心の表れですよ。

最後に

人はいつまで「お金は汚い」観念に縛られるんでしょうか。

コンテンツを提供するクリエイター側は、お金が欲しいから有料コンテンツを提供しているわけではありません。

自分の身銭を切るのが嫌だからというケチな理由で、やりたいことが明確にあってそれを実現しようとしているクリエイターを否定する人は、本当のファンではありません。

有料コンテンツを展開した途端に「失望した」「ファン辞めるわ」という人は、所詮その程度だったと見切りをつけましょう。

そういう人は有料コンテンツを展開しなかったところで、飽きたら勝手に離れていきますから。彼らはメンクイ・ヤリ◯ンなんですよ。

そんなのより、一途で尽くしてくれるファンに対して、精力的な活動やコンテンツを提供することで誠意を見せることこそ、クリエイターにできる唯一かつ最強の恩返しですからね。

顔面偏差値と勘違いレベルってなんで必ず反比例するんだろ?

これは笑いましたw

顔面偏差値と勘違いレベルって、面白いくらいに反比例しますよね。

ブスであればあるほど、自意識過剰で勘違いしている人が多いです。きっと無意識的に自分で自分を騙すのに必死なんでしょうね。

ここで、自分が生まれて初めて体験したブスエピソードを1つ紹介します。

自分が高校1年の頃、別にその人を見ていたわけではないのですが、突然「いま谷間見てたでしょ?」と言われたことがあります。

会ったら挨拶はするくらいの2つ上の先輩であり、ふざけ半分でそう言ってきたのかもしれませんが、内心では「お前がそれ言う?w」と思ってしまいました。

…というのも、その先輩は控えめに言って「ゴブリン突撃部隊」だったんですよ。

参考:

だからこそ、不意打ちの「谷間見てたでしょ?」が衝撃的すぎて、その時のことを今でも鮮明に覚えています。

以上、自分の高校時代の懐かしい思い出でした!先輩、元気してるかなぁ…。

やっぱり性格は顔に表れる

少なくとも自分は、きれいな女性に「谷間見てたでしょ?」と言われたことがありませんし、誰かが言われているところを見たこともありません。

満員電車などの不可抗力で身体が接触してしまった時に「痴漢!」と騒ぎ立てるのも、女性専用車両をありがたがるのも、決まってブスかオバさんです。

こういう世の中を目の当たりにしていると、やっぱり性格は顔に表れるということを再認識します。

人間の身体は不規則な生活リズムやバランスの悪い食生活を送っていると、肌が荒れるなど視覚的に「不健康だから生活を改善しろ!」と危険信号を発して自分自身に警告してくれます。

それと同じで、性格が悪い人は顔にそれが表れます。つまり「こいつは性格がブスだから関わらない方がいいぞ!」と周りの人間に教えてくれているんです。

後世に優秀な遺伝子を残すための、生物学的な警告ですよね。面白いなぁ。「面食い」って言葉、そろそろ廃止してもいいんじゃないですかね?

最後に

性格や顔が悪いのは生まれ持ったものなので仕方ないとしても、何か勘違いしている痛い人にはなりたくないですよね。

常に自分を客観視して、また痛い勘違い君を見た時に自分の行動を振り返ってみて、良い意味で身の程をわきまえたカッコいい人になっていきましょう。自分も気をつけます。

悪口に傷つくことで、その言葉を正しいと証明してしまっている。

目からウロコでした。本当にその通りです。感動しました。

悪口を言われて傷つくのは自然なことですが、その悪口を真に受けて傷ついている時点で、その悪口を正当化してしまっているんですよね。

悪口なんて真に受ける必要はないし、それによって傷つく必要もありません。

カッコいい人は、どんなに完璧なように思えても必ずどこかで悪口を言われています。

フィギュアスケートの羽生結弦選手や、元プロ野球選手のイチローにだってアンチがいるんですよ?

このことからも分かる通り、むしろ悪口を言われることはステータスなんです。

あなたが悪口を言われるのは、人より一歩先を進んでいて、優れているからです。

それによって多くの人の目に留まるようになり、結果として暇な人がブーブー言ってくるようになるんです。

…ほら、悪口を言われるのはステータスでしょ?

悪口を言われたら傷つくどころか、むしろ自信を持って前に進めるんですよ。アンチは頑張っている人・カッコいい人にしかつかないんですから。

物語に例えると、悪口を言うなど試練や困難をスパイス的に与えてくれるのが敵キャラやモブキャラで、悪口を言われるのは主人公の方なんですよ。あなたは主人公なんです。

そうと分かっていても傷ついちゃうのが人間なんだけどね…

「悪口を言うのは暇でバカな人」

「悪口を言われるのはステータス」

「悪口を言われている方が主人公」

頭ではそう分かっていても、いざ悪口を言われると傷ついてしまったりしますよね。

これはもう慣れるしかないのですが、いくら慣れようとしても傷ついてしまう人は、無理に慣れようとしなくて良いです。

真面目で責任感が強い人は、特にその傾向が強いです。

「全ての人に公平に振る舞いたい」

「批判や悪口も意見として受け入れたい」

…こういった長所が裏目に出て、自分に不利な状況を作ってしまったり、自分を責めてしまったりするからです。

こういう人は、無理に悪口を受け入れようとしない方がいいです。辛いだけですから。

慣れられないのなら、逃げてしまえばいいんです。

悪口を言ってくる人とは縁を切ったり、アンチコメントを飛ばしてくるアカウントはブロックしてしまったり、悪口をシャットアウトしましょう。

スルメロックの作品にも書かれている通り、悪口に傷つくなどして真に受けてしまった時点で、それは意見として正当化されてしまうんですよ。

だからこそ、取り合わずに無視するか、その一切を絶ってしまえばいいんです。

悪口に慣れて何も感じなくなる、むしろ嬉しく感じてしまうのもスルースキルですし、悪口の根源を遮断して何事もなかったかのように生きていくこともまた、スルースキルなんですよ。

最後に

繰り返しますが、悪口を真に受けて傷つくのは、その言葉を1つの意見として正当化してしまうことに等しいです。

心ない言葉で無駄に傷つき、活動のモチベーションを下げられてしまわないように、悪口にはスルースキルをもって対応していきましょう。

「バカの相手をするため道を引き返す」か「そのまま夢に向かって突き進む」か。

これ、夢を追い続けている人にとっては金言ですね。

「バカの相手をするために道を引き返すほど、お前は暇なのか?」ーーそうお説教されたような気分になります。

月並みですが、世の中には「忙しい人」と「暇な人」がいます。

これはそのまま「夢を追い続ける人」と「バカな人」という言葉に置き換えることができます。

バカな人は自分では何もせず、その浮いた時間の暇つぶしとして他人の頑張っている姿を否定しては、叩き潰そうとします。

これは夢を追い続ける人が先に進んでいってしまうのが気にくわないが故に、自分たちのステージに引きずり降ろそうとする人間の本能でもあります。

だからこそバカな人が一定数いるのは自然なことですし、気にする必要もないのですが…。

否定的な声は、少なくとも賞賛の声の100倍は伝わりやすいのが事実です。

その証拠として、せっかく今までがんばっていたのに、ネットで一言「キモい」「死ね」「辞めろ」と言われてしまっただけで活動を辞めてしまう人が世の中には沢山います。

YouTubeやニコニコ動画などの動画配信サービスやSNSなんかを見ていると、それがいかに日常茶飯事的に起こっているかが分かりますよね。もったいないことです。

このお決まりの流れに負けないように、「バカの相手をするために道を引き返す」のは辞めましょう。

そのためには、どんなに酷い批判や悪口があっても「そのまま夢に向かって突き進む」ことができる強さと勇気を身につける必要があります。

世間ではこれを「スルースキル」とも言います。

夢を追い続けることを選んだ人は、バカの相手をしていられるほど暇ではありません。

そんな暇があったら、少しでも多く夢に向かって足を進めるべきです。

バカの相手をしていた分だけ夢から遠ざかりますし、そのために戻った分はもう一度歩き直さなければいけませんからね。冷静に考えると大損失ですよ、これ。何の意味もありませんし。

そういうメッセージを、スルメロックさんの4コマからビンビン感じます。

バカの相手なんかするんじゃない。俺たちは夢に向かって突き進めばいいんだ。気にするな。自分の選んだ道を信じろ!

今回もスルメロックさんから勇気をもらいました。

この方は作品を通してユーモアを交えながら多くの人に勇気と希望を与えてくれる素晴らしい才能の持ち主ですので、この記事を通して興味を持った方は是非チェックしてみてください。

アートってプレゼントに最適じゃね?ってことに気づいた。

普通に人生を楽しく生きていると、他人にプレゼントをあげたくなることが多々あります。

家族・恋人・親戚はもちろん、友達や仕事仲間に贈るプレゼントを考えること、そして渡して喜んでもらうことを経験することで、人生がより豊かになります。

ただ、誰かに贈るプレゼントを考える時に直面する問題として「何を贈るか?」があります。

「何を贈れば相手が喜ぶか分からない」という理由から、他人にプレゼントを贈りたくても贈れない人もいますよね。

また、「服や指輪を贈りたいけどサイズが分からない」という悩みもよくあります。家族や恋人でもない限り、相手の身体のサイズを知る機会って、案外ないんですよね。

それに、変に高額だったり絶妙に要らない品だったりすると、相手に気を遣わせてしまうこともあります。

そのため、「だったらいっそのことプレゼントを贈らなくて良いや」と思いとどまってしまう人も沢山います。

…とまぁ、「他人にプレゼントを贈る」という行為は楽しい反面、実は色々とハードルが高いんです。

ただ、そう簡単に上手くいかないからこそ面白いんですけどね。「面白いことは必ず難易度が高い」ってことです。

プレゼントにアート作品はいかが?

「プレゼント選びは難しい」「だからこそ面白い」と書きましたが、それだけではただの意見であり何の解決にもならないので、ここで1つ提案です。

プレゼント選びにお困りの方は、絵画・彫刻・写真などのアート作品を贈ってみてはいかがでしょうか?

絵画なんかを買ったことをない人にとっては「アートって何だか難しそう」と敷居の高さを感じてしまうかもしれませんが、そんなにビビらなくても大丈夫です。

…ということで、プレゼントにアートをオススメする理由を書いていきます。

1.アートは安い!

まず、アート作品は安いです。

そりゃあ有名なアーティストや歴史的な画家の作品ともなれば天文学的な金額になりますが、世の中にいるアーティストは世界中の誰もが知っているような人だけではありません。

駅前やテナントにアトリエを構えて創作活動に専念している方もいらっしゃいますし、ペンタブとネットを駆使して世の中に作品を展開している方もいらっしゃいます。

有名なアーティストの作品だけに価値がある、なんてことはもちろんありませんよね。

誰が生み出したアート作品でも価値がありますし、街のアートって意外にも安く買えてしまうんですよ。

たとえばハガキサイズのキャンバスに描かれた絵なんかは数百円で買えたりしますし、手のひらサイズの彫刻も千円以下で買えることが多いです。

2.自分の個性を出せる!

そして、アート作品のチョイスには、あなたの個性が出ます。

自分自身が「良い!」と感じて、かつ「あの人に贈りたい!」と思った作品は、あなたの感受性を具現化した姿でもあります。

アートとは自己表現であり、自己投影の場でもあるので、これはわざわざ説明する必要もないでしょう。

つまり、アートをプレゼントすることで、自分の気持ちをそのまま相手に渡すことができるんです。

3.形に残る!

アートは基本的にずっと形に残ります。

燃えてしまったり、壊してしまったり、盗まれてしまったりしない限り、永久に残り続けます。

前述した通りアート選びには個性が出ますから、プレゼントを渡した相手はそのアートを見るたびに「(あなた)から貰ったやつだ」と、あなたの顔を思い出してくれます。

…ということは、恋人に贈ったアートは恋の終わりと共に処分されてしまう運命にありますw

…が、両親や家族、身内や親友に贈るプレゼントとしては最適ですよね。

4.サイズの心配がない!

形に残るプレゼントとして服・靴・帽子・アクセサリーなんかを贈るのも素敵ですが、ファッションアイテムを贈るには必ず「サイズ」というハードルが立ちはだかります。

大切な人が欲しがっている指輪をリサーチして準備したは良いものの、サイズが合わなかったら素敵なムードも台無しですよね。

しかし、アートにはこの心配がありません。絵や写真や彫刻なら渡すだけでOKで、それを楽しむ心を持っている人であれば誰でも受け入れることができます。

恋人や家族でもない限り、服や指のサイズをリサーチするのは結構むずかしかったりします。

「相手のサイズが分からない!」そんな時には、いつもとは違う贈り物としてアートを選んでみるのも良いですね。

5.生活に彩りを添えられる!

アートがある生活は、生活に彩りを添えてくれます。

シンプルな部屋に1枚の小さな絵を飾るだけでも、雰囲気が引き締まって洗練された空間になります。

出典:賃貸でも絵を飾ろう!イケメン社長の部屋にお邪魔して絵を飾ってみた。 - WASABI | アーティストオリジナルの絵・雑貨通販サイト

そう、アートは生活の中に静かにそこはかとなく溶け込んで、我々の暮らしを豊かにしてくれるんです。

そんなアートをプレゼントすることで、相手の豊かな暮らしづくりに貢献できるなんて、何とも素敵だと思いませんか?

ここで個人的にオススメなのが、「アートに興味がなさそうな人に絵を贈る」ことです。

「えっ!?興味ない人にあげても嫌がられない??」と思う方もいるかもしれませんが、そうでもないんですよ、これが。

人は「自分では絶対に買わないもの」をプレゼントされると、結構うれしかったりします。

これ、要するに「新しい世界の提供」なんですよね。

「こっちもどう?」といった具合で、相手の世界を広げてあげる、というアプローチでのプレゼントなんですよ。

人間はいつだって、大切な人から教えてもらった物事から自分の世界を広げていきます。そういう意味も込めたプレゼントって、すごく素敵だと思いませんか?

★アートを贈る際の注意点

ただし、1点だけ注意です。

プレゼントで他人に贈るアートは、相手の趣味を熟知していない限り、極力さりげない小さな物にしてください。

前述した通り、アートは個性が出ますから、同時に好みがかなり分かれます。

特に自分の世界観を確立している人や、日頃からお洒落な人にアートを贈る際は要注意です。

そんな人に壁一面を飾る絵画を贈ってしまうと、趣味に合わずに相手が困ってしまう…、ということにもなりかねません。

ですから、相手の趣味を熟知していない限り、アートを贈る際はさりげなくて小さな物を選んだ方が良いです。

個人的には、玄関やトイレに気軽に飾れるようなアートがちょうどいいですね。ハガキサイズの絵画とか、小さな動物のオブジェとか、もらったらすごく嬉しいです。

最後に

今回は「アートはプレゼントに最適!」というテーマで記事を書きましたが、いかがでしたか?

大切な人へのプレゼントにお困りの方は、普段あまり贈ったことのない素敵なアート作品を贈ってみることも選択肢に入れてみてはいかがでしょう?

それでは、素敵なプレゼントライフを!

折りたたみスマホの登場でガラケー時代を思い出して懐かしみが深い。

すごい!未来ですね。

その昔、携帯電話が普及し始めた頃にストレートから折りたたみが主流になっていったように、スマホも歴史を繰り返すんですかね?

がっつりガラケー世代な自分は、折りたたみ式の携帯電話を見ると懐かしみが深いんですよね。

当時は折りたたみ式だけではなくてスライド式とか、画面を180度回転させられるガラケーなんかもありましたよね。

あえてストレートのガラケーも登場したりして、各社のオリジナリティ溢れる発想が普段から普及していて楽しかったですよね。

それが今では、スマホはストレート一択ですからね。まあボタンがなくなって画面だけになってしまうと、そう簡単には折りたためませんからね。

ただ、有機ELはそれをも可能にしてしまうなんて…。技術の進歩は凄いですね。

携帯電話の概念を覆してしまったスティーブ・ジョブズ氏のように、各社は必死になってアイデアを出し合い、現在のスマホの概念を壊そうとしているわけです。

折りたたみスマホが実際に普及したとして流行るかどうかは分かりませんが、こういう前衛的な製品を作ろうとする企業努力って素晴らしいですよね。

現状でも満足のいく製品にはなっているのに、決して現状には満足せず、さらに新しい価値を生み出して提供することで、世界をより豊かにしてくれるんです。

ほんと、良い仕事してますよね〜。そういう姿勢は自分含め全ての人が見習うべきです。我々は時代と共に常に変化し続けなければならないんですよね。

みんなは今のスマホに飽きてない?

そういえば最近、自分はもうスマホに飽きてきた感があるんですよね。あれ、自分だけですかね??

最新機種のiPhone XSを使用しているのですが、正直もう飽きてしまって、新しい何かに変えたい気分です。

「現在のスマートフォン」としては最高なのですが、目新しさが全くないんですよ。

スマホは性能は年々アップしていますが、破壊的イノベーションは10年以上起こっていません。

皆さんもご存知の通り、スティーブ・ジョブズが2007年1月9日に現在のスマホを定義してから、その形は大きく変わることなく12年もの年月が過ぎました。

そろそろ次の時代への破壊的イノベーションがあっても良いと思いませんか?

パソコンでもなく、タブレットでもなく、スマホでもない携帯電話の新しい形を、我々は望んでいます。

そういう次の時代への先駆けとして、今回紹介した折りたたみスマホのような新しい製品が続々と登場することには、ワクワクを隠せないですね。

…ってことで、各社さん宜しくお願いします!

(もしかしたらAppleが最近マイナーチェンジ的なアップグレードばかりなのは、次の時代の製品の開発に注力していて既存製品にリソースを割けないから…、とかだったら嬉しいな!)

「二次元しか興味ない」って言っちゃう人が苦手。

別に誰も聞いてもいないのに「二次元しか興味ない」と発言することでATフィールドを展開している人がいますが、自分はこういう人が苦手です。

別にあなたがどんな性癖を持っているかなんて、自分は一切興味がありません。仮に興味があったとしたら、先にこちらから質問しますよ。

人が聞いていないことを話すのは、自分のことしか考えていない時

そうやって誰も聞いてもいないことを次から次へと発言する人は、総じてコミュニケーションが下手です。

そういう人が聞いてもいないことを次から次へと発言してしまうのは、自分が気持ち良いからです。自分の好きな話ですからね。当たり前のことです。

でも、聞かされる相手(興味がない人)にとっては、たまったもんじゃないですよ。時間の無駄でしかありません。

要は聞き手が興味がない・つまらない時に醸し出す空気感を読めないんですよね。だからどんどん孤立していく。負の連鎖とはまさにこのことです。

相手もそれが好きな体で一方的に話すのは、「自分の興味があること・好きなことは相手も好きだろう」と思ってしまう=主観的にしか物事を判断できていない視野の狭さの表れです。

「二次元にしか興味がない」→遠回しに「お前には興味がない」と言われている気がして残念

「二次元にしか興味がない」という発言の真意は分かりませんが…。

個人的には、この言葉に出会うと「二次元」=「三次元の自分」には興味がないと解釈してしまいます。

つまり、遠回しに「お前には興味がないよ」って言われている気がして、とてもイヤな気持ちになります。

別に興味を持って欲しいわけではないですし、考えすぎなのかもしれませんが、イヤなものはイヤですし、普通にイラっとしますし、傷つきます。

まともな人は敢えて「異性にしか興味がないよ!」「同性にしか興味がないよ!」「二次元にしか興味がないよ!」「人間には興味がないよ!」なんて言わないじゃないですか。

そんなことを言ったって、何の意味もないことを彼らは知っていますからね。寧ろ悲しみを生んでしまう可能性すらあります。彼らは良い意味で身の程を知っているんですよ。

自分もそういうセクシャルな部分には普段から一切触れないようにしています。思わぬところで誰かを傷つけたくないからです。

もしかしたら彼らは「二次元しか興味がない」という言葉をステータス的な意味で振りかざしているのかもしれませんが、正直イタイですよね。全世界のオタク達に謝って欲しいです。

それとも自虐的な意味で言っているんですかね?だとしたら面白くないので即辞めた方がいいですよ。笑えないです。

そういう人は、ホモセクシャルであることを良い意味で明るく楽しく笑いに変えている人たちの立ち振る舞いを見て、しっかり研究してくださいな。


最後に

別に「二次元しか興味がない」こと自体は何も悪くありません。勝手にお気に入りの嫁を囲って夜な夜なハァハァしていてください。

自分が言いたいのは、誰も聞いていないのに、わざわざ「二次元しか興味がない」と発言することで、意図的ではなくとも他人を傷つけてしまう根性が気に入らない、ということです。

当たり前ですが、性的嗜好では人間性なんて判断できませんし、判断する気もありません。

二次元好きでも結構、同性好きでも結構、ロリ・ショタ好きでも結構、ケモノ好きでも結構です。犯罪に走らない限り、誰にも迷惑をかけませんし。

配慮の足りない発言にはヘドが出ます。我々は良い意味で身の程を知って、慎ましくたくましく生きていきましょう。