28歳会社員、会社を辞めて好きなことで生きていくことを決意しました。

普段の記事の中では触れていたものの、正式に発表していなかったので、今回は改めて記事を書きます。

結論から言うと、私シュウヘイは2019年6月30日をもって、新卒入社して以来8年間勤務していた会社を退職することになりました。

理由はいくつかありますが、細かいものは後日ほかの記事として書くつもりですので、この記事では省きます。

会社を辞める理由として最も大きいのは、「好きなことで生きていきたい」と思ったからです。

もう、これからの人生は「自分が本当にやりたいこと」しかやらないと決めました。

会社員を続けることに比べると、非常にリスクが高いのは分かっています。

もしかしたら、一生ろくに稼げないかもしれません。

もしかしたら、派手に転んで二度と立ち上がれなくなるかもしれません。

でも、会社員として一生を過ごすことを選択すれば、会いたくもない人とやりたくもない仕事をしながら生きながらえる安定した人生になります。

それよりも、大好きな人と本当にやりたい仕事をしながらイキイキと生きていきたいと思う自分がいました。

「安定した収入」「社会的地位・信頼」と「好きなことで生きていく」ことを天秤にかけた時、天に掲げられたのは前者でした。

少し考えてみれば答えは明白でしたが、今まで8年も決断できなかったのは、きっと自分が生きることに不真面目だったからなんですよね。

自分の本当にやりたいことについて真剣に考えず、誰にでもできてかつ安定している会社員を思考停止的に選択してしまったんですから。

過ぎた時間を戻すことはできないので過去は悔やみませんが、早い段階で勇気を持って決断して真剣に生きている人に比べたら、出遅れているのは事実です。

そこは危機感を持って、これからの人生は自分にできることは何でもやって、必死にもがいて、自分の本当にやりたいことで生きていけるように、精一杯あがいていきます。

ちなみに、やりたいことは明確に決まっています。当面はそれ1本に全てのリソースを割くつもりです。

よって、このブログは毎日更新できなくなるかもしれません。

文章を書くことは楽しいですし、1年以上も毎日欠かさず続いたことはブログ以外にはないので、もちろん勿体なさはあります。

ただ、ヘタに現状にしがみついてしまうと全てが中途半端になってしまいます。以前の記事でも書きましたが、器用貧乏はもう辞めました。

ここで1度、本当にやりたいことに全力投球して、命をかけて取り組んでいこうかな、と。

ブログは楽しいですが、正直に言うと自分の中では「本当にやりたいこと」ではありません。良くも悪くも『趣味』の範疇です。

だからこそ、いざという時はその一切を捨てて、1つのことに命をかける勇気が必要なんです。

仕事を辞めて本気でやりたいことが明確に決まっている以上、今がその「いざという時」なんですよね。

もう自分は止まりません。やると決めたからには全力で打ち込んで、結果を出すべく最大限の努力をします。

今後の活動によって、このブログ以外の場所で、このブログの読者であるあなたと会える日が来たら、この上ない喜びですね。少しでも応援していただけたら幸いです。

最後に

そんな感じで、7月からは会社員を卒業してフリーで活動することになりました。

このブログでは今後どこで何をやっていくか?は明言しませんが、会社員の時には体験することのできなかった刺激的な世界に飛び込んでいきます。

当面はフリーでの活動を予定しているので、結果が出るも出ないも、全ては自分自身の行動のみにかかっています。

そのプレッシャーを心地良い緊張感と捉えてモチベーションに変えていき、今後の活動に精進していきます。

1つのことに命をかける!がんばります。

『命に嫌われている。』という名曲に涙した話。

ここ最近ボーカロイドの楽曲をよく聴くようになったのですが、ボカロ曲で泣いたのはこの曲が初めてでした。

『命に嫌われている。』という楽曲は、名曲であり大曲ですね。

余談ですが、個人的に愛してやまないBUMP OF CHICKENの楽曲を聴いた時と似た、極めてエモーショナルな気分になります。

世の中には「ノリが良い」「キャッチーな言葉やメロディー」といった価値を持つ楽曲が沢山ありますが、この『命に嫌われている。』という楽曲はそれらとは全く性質が異なります。

我々人間は「死にたい」とか「殺したい」とか、たとえ口には出さなかったとしても、心の中では軽々しくそう思ったり、匿名アカウントでSNSにそう呟いたりします。

理性を持ってしまったが故に、そうやって命を軽々しく扱っている我々が『命に嫌われている。』のは間違いありません。

そういう人間の本質的な汚い部分をシビアに指摘してくれる名曲ですよ。聴くたびに胸が締め付けられます。

ボカロ好きだけとは言わず、多くの人に聞いて欲しい曲ですね。

曲の最後、畳み掛けるような展開が本当にエモくて感動的です。この記事を読んでくれたあなたは、ぜひ聴いてみてください。

誕生日プレゼントとお祝いの言葉について思うこと。

友達・恋人・家族など、親しい間柄で誰かが誕生日を迎えると、誕生日プレゼントやお祝いの言葉が飛び交います。

自分はこういうやりとりが好きで、また誕生日プレゼントやお祝いの言葉を贈り贈られる関係が心地良くて、一生の付き合いをしたい人には率先してこのやりとりを仕掛けます。

自分にとって大切な人に贈るプレゼントを考えるのは難しくもありますが本当に楽しいですし、普通に「誕生日おめでとう!」と言いたくなりますよね。

ただ、世の中にはそう思わない人も多いのが事実です。

相手に誕生日プレゼントを贈ったりお祝いの言葉を伝えたとしても、いざ自分の誕生日が来た時はなしのつぶて…、ということは往々にして良くあります。

別に見返りを求めているわけではないのですが、こうなってしまった時は、とてつもない寂しさに襲われます。

もちろん自分が贈ったプレゼントやお祝いの言葉なんかよりも大きなものを、普段のやりとりから沢山もらっているケースもあります。

でも、そういう人は大抵それに加えてお返しをしてくれます。

誕生日プレゼントやお祝いの言葉はもちろん、家に遊びに来る時は手土産を持って来てくれるし、幾たびか食事を奢った後は形に残るプレゼントをくれたりします。当たり前のように。

こういうやりとり、カッコイイ大人として普通にやりたいと思いませんか?

自分はこういう駆け引きは素晴らしくて楽しいと思っています。

何より、プレゼントを考えている時など、要は大切な相手のことを考える時間が増えるって、素敵なことじゃないですか

こういうやりとりが出来ない人って、ケチな人が多い印象です。

自分や恋人や家族のためにはお金を沢山使えるのに、大切な友達にはお金を使えない。

要は自分を楽しませることだけに必死で、周りが見えていないんですよ。なんと心の狭いことでしょうか。

ここで自分の体験談を書きますが、自分には普段から食事を奢ったり、事あるごとにプレゼントを贈ったりしている相手がいます。

そんな人が、昨年の自分の誕生日をスルーした上、自分の目の前で「今年の母の日のプレゼントはどうしようかな」と言っているのを聞いた時は、正直ガッカリしました。

本人はそういうつもりはないのかもしれませんが、母親は大切に想っているけど、自分のことは大切に想われていないんじゃないか、と感じてしまったのは否めませんね。

最後に

一生のうちで、大切な人にプレゼントを贈ったり、お祝いの言葉を伝える機会って、思っているより少ないんですよ。

誕生日、旅行のお土産、家に遊びに行く時の手土産、◯◯祝い、など…。日常にありふれているようで、実は一生のうちでは簡単に数え切れるほどしかないんです。

だからこそ、大切な人には事あるごとにプレゼントや言葉を贈りたいし、贈って欲しいんです。

これ、「心が狭い」とか「器が小さい」とかそういう話ではなく、人として当然の感情ですよ。

…ってことで、プレゼントください!奢ってください!祝ってください!褒めてください!

新しい元号「令和」には、中にさりげなく「アベ」という字が入っている!

これにはセンスを感じましたw

そういう無理やり感のあるこじつけをする人っていますよね。変に深く歪んだ形で考察するようなめんどくさい人を的確に表現した、素晴らしいツイートです。

アラ探しとか、揚げ足取りとかに夢中で周りが見えていない人にはなりたくないですよね。

我々は全体を見渡して良いところをくみ取れるような、器の大きい人になりましょう。

それにしても新しい元号は「令和」かぁ…。画数が少なくて覚えやすいし、響きが美しいですよね。

平成も残り1ヶ月を切りました。

平成生まれの自分としては、新しい時代の幕開けに際して「年取ったなぁ」という実感がありますw

また、「元号が変わる」という生まれて初めての一大イベントを前に、期待と不安の入り混じった複雑な感情を覚えています。

以前も新元号について記事を書きましたが、平成生まれの我々は、令和生まれをバカにしないことを誓わなければなりません。

「平成イジリ」、ウザかったですよね?

好きで平成に生まれたわけじゃないですよね?

自分から進んで「ゆとり教育」を受けたわけじゃないですよね?

そう思っている平成生まれの人は、令和生まれの若者をバカにしないことを誓いましょう。

平成生まれが20〜50代の時に、令和元年生まれが新成人を迎えます。温かく受け入れてあげましょうね。

#この髪どうしてダメですか について思うこと。

…ってか、まだ髪に関して学校側がとやかく口出ししてくる風潮ってあるんですか?正直キモいですよ、あれ。何の意味もないので即刻やめるべきです。

そもそも髪やら服装やらメイクやらの指導に労力を使うんじゃなくて、授業や部活(=教育)のレベルを上げることに注力しろよ、って話です。

地毛証明書を生徒に提出してもらって管理するだけで一苦労じゃないですか。

それに服装や頭髪の検査をする時間だって、何も生み出さない(というか生徒に不快感を与えるだけの)不毛な時間なんですよ。

そんな意味のないことをしてしまうほど暇を持て余しているくらい、あなた方の教育は完璧なんですか?

全ての生徒の才能を見出して開花させられている、と自信を持って言えるんですか?

むしろ、不自然な校則を作って生徒に守らせることで、開花するはずだった生徒たちの若い目を摘んでしまっていませんか?

今は大正でもなく、昭和でもなく、平成なんですよ?しかもあと1ヶ月も経たないうちに令和になります。

時代はどんどん変わっていって、それに伴って人間の在り方もどんどん変わっていっているのに、どうして日本はどこの現場も悪しき風習を払拭しようとしないのでしょうか?

学生は制服に地毛でノーメイク!就活はリクルートスーツ!社会人(大人)はスーツ!そういうの、自分は本当に大嫌いです。吐き気すら覚えます。本当に気持ち悪い。

特に学生時代は多感な時期なんですから、髪をはじめ「身だしなみ」に気を遣い始める時期です。

髪型・色や服装で自分なりのお洒落を楽しんだり個性を主張したくなるのは、10代にとって当然の欲求です。

それを学校に通うため、つまり勉強するために阻害されてしまうと、生徒はたちまち全てのやる気を失ってしまいます。

これは自分の実体験でもあるので、自信を持って言えますよ。詳しくは以下の記事をご覧ください。自分の高校時代は、今でも思い出すだけで腹わたが煮えくり返りますね。

あれから10年以上経っているし、令和になる直前の2010年代後半だし、もうとっくに全国全ての学校では髪型が自由になっていると思っていました。

まぁ日本の教育現場って頭が固い人が多そうですし、教員免許にしがみついて生きていくことしかできない人間的に無能な人も多そうですからね。

そういう汗水流して働いていないような生きることに不真面目な輩のせいで、これからの時代を生きて創っていく将来有望な若者のやる気を削いでしまうのは、大きな社会的損失です。

だから、さっさと髪型自由にしろよ。

いつまでこんな意味のないことを続けるんだよ。

気持ち悪いんだよ、老害どもが。

「学校」「教師」「校則」という絶対的な盾を持って、令和に生きるこれからの若者の目から光を奪うような、暴力的な行為の数々。自分は絶対に許しませんよ。

…ってか、パワハラにならないのかな、こういうのって。

本当にムカつくし、こういうことで余計な悲しみや怒りを生んでいる現場があるって考えるだけで、腹が立って仕方がありません。

生徒の皆さんはもっと怒って良いし、親御さんはお子さんの悲しみや怒りを理解してあげて、先生と闘うために協力してあげて欲しいです。

少なくとも、自分が親になって子供が「先生に髪切ってこい(or 黒くしてこい)って言われた」って言っていたら、ブチ切れて学校にクレームの電話を入れますよ。

今はそういう時代じゃない。時代を、歴史を変えるために、諦めずに闘いましょう。

退職前の有給消化を拒否されました。最後まで会社と闘うことを誓います。

8年も一緒に仕事をしてきたのに、最後の最後で有給消化もさせてくれないような会社だとしたら、その程度の会社だったと思うしかないですね。不本意ですが。泣けてきますよ。

そもそも有給は社員の権利ですし、自分は今まで殆ど有給を使わずに消滅させながらここまで来てしまったので…。最後くらい気持ち良く有給消化させてくれよ、とは思っています。

口では「応援している」と言われても、こういう入社してから今までの約束を破られてしまったら、そりゃあ不信感を抱きますし、嫌いにもなりますよ。

まぁどう転ぶかは分かりませんが、ツイートした通り、必要であれば全力で会社と闘う覚悟です。

有給消化を拒否するのは明らかに労働基準法に違反しています。法律を侵すような会社には成り下がって欲しくありませんからね。

面倒ごとは大嫌いな性分ですが、大好きな会社だからこそ、白黒つけて気持ち良く最後を迎えたいんです。

できれば闘うことなく、交渉だけで穏便に終わらせたいよ…。会社のこと、嫌いになりたくないんだよ……。

最終的には消化できることになりました

結局、そこまで大げさな闘いになることなく平和に有給消化できることになりました。退職前の最後の1ヶ月は全て有給消化です。

まぁ良かったことは良かったですが、自分が「有給消化したい」と言わなかったら、しれっとやり過ごすつもりだったことは明白になってしまいましたね。

円満退社には変わりないものの、個人的には少しガッカリしましたね。

挑戦するのに早いも遅いもない。年齢を理由にするな。

何かと年齢を理由にする人っていますよね。

「もう歳だから無理」

「まだ若いから大丈夫」

こういう類の発言をする人の中に何かを成し遂げたことがある人はいませんし、絶対に輝かしい未来はやってきません。

人が自分の年齢を盾に動こうとしないのは、今この瞬間に、目の前の物事に挑戦することから逃げているからなんですよ。

手軽な理由として幅広い層から大人気ですよね。クソ喰らえです。

もちろん挑戦するには若ければ若いほど可能性は広がりますし、ある程度の年齢までは歳を取れば取るほど知恵と知識が備わり、挑戦するのにベストなタイミングがやってきます。

でも、別にそんなの微々たる差じゃないですか?誤差の範囲ですよ。

長い目で見ればそんな初期ステータスの差なんて微々たるものですし、努力する才能があればすぐにそんなのは埋められます。

気づいた時・やりたいと思った時が始め時です。「善は急げ」、「思い立ったが吉日」なんですよ。

生きとしいける全てのものは、今日が一番若い日であることを忘れてはいけません。

スルメロックさんのこの作品は、そんなことを思い出させてくれるような、素晴らしい4コマ漫画ですよね。

久しぶりにTwitterを見たら、こんな素晴らしい作品に出会えるなんて、やっぱりTwitterは良いものですね。

また純粋な心で以前のように楽しめるようになると良いな。そのために人間活動がんばります。

在来線(一般車両)の日常vol.02:髪の毛ペチペチ編

以前に在来線にいる変な人について記事を書きましたが、つい先日もまた変な人に出会ったので、紹介します。


髪の毛ペチペチ

第2回目となる今回は「髪の毛ペチペチ」です。

百聞は一見にしかずということで、まずはこの画像をご覧ください。

…お分かりでしょうか?これだけだと何が何だか分からないかもしれないので、言葉でも説明します。

右下の花粉で死にかけている黒髪の人間が自分なのですが、この時は電車のドア寄りの隅の座席に座っています。

ドアの手前って座席の仕切りがあって、電車を立って利用する時には特等席的なポジションにありますが、そこにロングヘアの女性がやって来て、立っていたんですよ。

それだけなら何も問題ないのですが、何が嫌だったかというと、そのロングヘアが自分の顔にペチペチ当たってきたんです。

しかもその女性は髪を自分の目線の先に持って行ってひとしきり弄っては勢いをつけて後ろに戻す、という動作を繰り返していて、その度に勢いよく自分の顔に当たってきました。

ここまで来ると「ペチペチ」なんて可愛いもんじゃなくて、「ベチンベチン」といった具合ですよ。正直痛い。自慢のロングヘアなのは分かったから止めろっ!止めてくれっ!!

テイコウペンギンの「無限ペチペチ」のようなかわいいもんではありませんでした。

都内の駅構内でキャリーバッグを持っているのに、その大きさや持ち手の長さを把握せずに制御できておらず周りに迷惑を掛ける人がいますが、この女性も彼らと同じですね。

髪が長いんだったら、ドア前に立つ場合は座っている人の迷惑にならないように髪を後ろに下ろすのではなく前に持っていく、という気配りなんて簡単に出来るはずです。

また、自分が座っていた席にさらに変な人が座っていたとしたら、怖い思いをするのは本人ですからね…。

ちょっと前にも女性の髪を舐めて逮捕された人もいましたし…。

気配りという意味でも、自分を守るという意味でも、自分の髪の毛くらいはしっかり管理して制御して欲しいな、と思いました。

また、自分がもし今後ロングヘアにすることがあったとしたら、公共交通機関を利用する際は気をつけようと思うきっかけになりました。

もちろん帰りはグリーン車で

割とグリーン券の費用ってバカにならないので、この日の帰りは一般車両で帰ろうかと思っていたのですが…。

今回紹介した髪の毛ペチペチのおかげですっかりその意志も弱まってしまい、結局いつも通りグリーン車を利用して帰宅しました。

まぁ正直イライラしましたが、ブログのネタ提供をしてくれたという意味では感謝していますw

そろそろ次の活動に備えて服を買うのは我慢しよ。

このブログでは度々お伝えしていますが、自分は結構な洋服好きです。

20代前半の頃は常に食費を削って残高ギリギリまで服を買いまくっていましたし、2019年に入った現在は毎週のようにZOZOTOWNで買い物をしています。

「好きなことには投資を惜しまない」

「いつまでも流行を追い続けて年老いても若者であり続けたい」

…といった理由から、これらは決して無駄遣いではなく、自分のための投資として認識しています。

事実として仲間内からはどのグループでも「オシャレ番長」的な扱いを受けていますし、初対面の人に着こなしを褒めていただくことも多いです。

もちろん自分ではそんなことは思っていませんが、他人からオシャレだと思われるのは間違いなく良いことであり、投資(努力)の賜物であることは認識しています。

環境を変えて新しいことを始めるにあたり、洋服は一旦我慢しようと決意した

そんな洋服好き、というか洋服オタクな自分ですが、近々洋服を買うのは中断しようと考えています。

というのも、これから自分は会社を辞めて新しい環境で新しいことを始めようと決意しています。

転職ではなく個人事業主(フリーランス)として活動する予定ですので、もちろん収入は途絶えてしまいます。

少ないながらも貯蓄はありますし、失業保険を活用すればしばらくはお金の面は心配しなくても良いですが、それでも残高には限りがあります。

そんな中、会社員で安定した収入がある時と同じように洋服を買い続けてしまったら…。あっという間に破産してしまいます。

先ほど「洋服は無駄遣いではない」と言いましたが、この状況でもなお洋服を買い続けるのは無駄遣いではないとしても「無謀」であるのは間違いありません。

それに、新しいことを始めるにあたり準備や調査・研究を進めていくと、自分がやりたいことにはある程度のお金が必要、ということが分かっています。

これからは限られたリソースの中で活動していくからこそ、妥協せず新しく始めることにステータスを全振りしなければなりません。

だからこそ、これからは洋服は見るだけで我慢して、新しく始めることに全力で取り組んでいくことを決意しました。

好きなことを我慢するのはツライですが、大成する人は必ずこの道を通っていますからね。

YouTuberのヒカキン氏は下積み時代、安い乾麺の蕎麦だけを食べて節約したお金で機材や動画で使う道具や商品を買っていたそうです。

芸能人・芸人・モデルだって、タマゴだった頃は安いアパートに住んで食費を抑えながら、必要に応じてバイトを掛け持ちしながら芸能活動を行なっていくのが普通じゃないですか。

こういう前例から察するに、何かを成し遂げるには自分の好きなことを我慢する(欲望をコントロールする)力って、本当に大事なことなんだと思っています。

最後に

大好きなことを我慢するのはツライです。

でも、自己犠牲的なネガティブな我慢でなければ、その我慢はきっとポジティブに作用するはずです。

少年少女が有名大学に入るには、スマホやゲームを我慢しなければなりません。

芸能人・芸人・モデルがそれ1本で生活できるようになるには、良い部屋に住んだり美味しいものを食べたりすることを我慢しなければなりません。

でも、その我慢によって目標にリソースを全振りできるようになるんですから、我慢した分だけ成長するスピードは上がり、結果として成功への近道となります。

夢や目標がなく、またやりたいこともない人は、ただ平凡に生きて日々発生する小さな欲望を満たしながら生活します。

(まぁこれが一番「幸せ」なのかもしれませんが)

対して夢や目標がある人は、やりたいことがあるからこそ、「好きなことを我慢する」という境地に達することができます。

そういう意味では、我慢している人こそ自分らしく生きている、とも言えますね。

自分らしくイキイキ生きるために、他の全てを捨ててやりたいことにステータスを全振りしているなんて、カッコいいじゃないですか。

結果がどうであれ、そうやって生きている人は尊敬できますよ。

思考停止的に会社員として生きている人と比べたら、金銭的な意味では前者が劣っていたとしても、人間的な価値としては天と地ほどの差があります。

なにかと収入で人の価値を図りたがる世の中ですが、自分はこれに賛同できません。

もちろん年収数千万を超えるような人になってくればこの限りではありませんが、会社員の平均年収付近であれば、人間としての価値なんてみんなドッコイドッコイなんですよ。

やりたいことがなくお金のために働いている会社員より、やりたいことに向かって努力しているフリーターの方がずっと価値があると思いますけどね。…自分、変なこと言ってますか?

たとえば同じ25歳が2人いたとしましょう。

1人はお金のためだけにやりたくもない仕事をしている年収500万の会社員で、もう1人は自分が本当にやりたいことのために脱サラして努力している年収100万のフリーターです。

このステータスを見て、人間として価値がある方はどっちか?これは明白だと思うんですけどね。…自分、変なこと言ってますか?

まぁ、価値観はそれぞれなので自分の考えが正しいとは思いませんし、人に押し付けることもしませんが。

少なくとも自分は、後者の方が価値があるし自分もそう在りたいと思っているので、これからは洋服と良い部屋に住むことを我慢して新しいことに命をかけて取り組んでいきます。

大好きなイラストレーターの方への支援も一旦中止しないとだなぁ…。寂しいですが、「いいね」を今まで以上にたくさん送るなどして、心理的な意味での支援は続けていきます。

以前「カジュアルな腕時計が欲しい」という記事を書き、購入を検討していましたが、こちらも一旦諦めます。

思い立ったその日が、自分が一番若い日ですからね。後悔しないようにがんばります。

300PV/月の記事が34個あれば1万PV/月になる。

「300PV/月」と聞くと簡単そうに思えますが、「1万PV/月」と聞くと自分含めブログ初心者はビビってしまいます。

だって、1ヶ月で1万PVいくには1日334PVってことですよ?

4分に1回は自分の書いた記事が読まれなければいけないんですよ?

そんなに頻繁に自分の書いた記事を読んでもらうなんて、素人には到底想像できません。無理ゲーだとすら思ってしまいます。

…そこで発想の転換ですよ。

「だったら記事を量産すればいいじゃない!」

そう、1つの記事しかないブログであれば、その記事を4分に1回も読んでもらわないと1万PVにはたどり着きません。

しかし、2つの記事があるブログであればそれぞれの記事を書き8分に1回、5つの記事であれば20分、10件の記事があれば40分、…。

といった具合に、記事が増えれば増えるほど、1つの記事あたりの負荷が下がっていきます。

たとえ記事の平均PVが300PV/月だったとしても、34件の記事があれば10,200PV/月ですからね。

300PV/月であれば、144分に1回は記事が読んでもらえれば達成できます。2時間に1回ペースですね。

これでも素人からしたらなかなかの頻度ですが、母数が増えていけばこの数字はさらに大きくなっていきますからね。

ブロガーが「とにかく記事を書け!」と叫ぶのには、文章の上達の他にもこんな恩恵があるからだと思っています。

また、バズを狙うなら数を打たないとダメですからね。

空振り三振になるかもしれませんが、それでもバットを振り続けなければホームランは打てません。

毎日コツコツ続ける圧倒的努力はやっぱり大事ですよ。バットを振り続けることでバッティングの練習にもなりますし、ホームランが打てなくとも基本的に良いことしかありません。

最後に

…まぁ、まだ1万PV/月を達成していない自分がいくら言ったところで説得力はないんですけどね。

ブログを始めてから今日まで1日も休まず記事を書き続けてこの記事で446件目になりましたが、それでもまだ1万PVには手が届きません。甘くない世界ですね。がんばります。

ただ、そろそろ5桁の大台が見えてきたので、自分を励ますという意味でも、今回はこんな記事を書きました。

ブログ初心者の皆さん、そしてPVが伸び悩んでいる皆さん、諦めずにお互いがんばりましょう。

続けていれば必ず良いことがあります。そう信じて淡々と継続するのみです。

2019/04/05:
計算がミスっていましたので、数字を修正しました。