誕生日プレゼントとお祝いの言葉について思うこと。
友達・恋人・家族など、親しい間柄で誰かが誕生日を迎えると、誕生日プレゼントやお祝いの言葉が飛び交います。
自分はこういうやりとりが好きで、また誕生日プレゼントやお祝いの言葉を贈り贈られる関係が心地良くて、一生の付き合いをしたい人には率先してこのやりとりを仕掛けます。
自分にとって大切な人に贈るプレゼントを考えるのは難しくもありますが本当に楽しいですし、普通に「誕生日おめでとう!」と言いたくなりますよね。
ただ、世の中にはそう思わない人も多いのが事実です。
相手に誕生日プレゼントを贈ったりお祝いの言葉を伝えたとしても、いざ自分の誕生日が来た時はなしのつぶて…、ということは往々にして良くあります。
別に見返りを求めているわけではないのですが、こうなってしまった時は、とてつもない寂しさに襲われます。
もちろん自分が贈ったプレゼントやお祝いの言葉なんかよりも大きなものを、普段のやりとりから沢山もらっているケースもあります。
でも、そういう人は大抵それに加えてお返しをしてくれます。
誕生日プレゼントやお祝いの言葉はもちろん、家に遊びに来る時は手土産を持って来てくれるし、幾たびか食事を奢った後は形に残るプレゼントをくれたりします。当たり前のように。
こういうやりとり、カッコイイ大人として普通にやりたいと思いませんか?
自分はこういう駆け引きは素晴らしくて楽しいと思っています。
何より、プレゼントを考えている時など、要は大切な相手のことを考える時間が増えるって、素敵なことじゃないですか。
こういうやりとりが出来ない人って、ケチな人が多い印象です。
自分や恋人や家族のためにはお金を沢山使えるのに、大切な友達にはお金を使えない。
要は自分を楽しませることだけに必死で、周りが見えていないんですよ。なんと心の狭いことでしょうか。
ここで自分の体験談を書きますが、自分には普段から食事を奢ったり、事あるごとにプレゼントを贈ったりしている相手がいます。
そんな人が、昨年の自分の誕生日をスルーした上、自分の目の前で「今年の母の日のプレゼントはどうしようかな」と言っているのを聞いた時は、正直ガッカリしました。
本人はそういうつもりはないのかもしれませんが、母親は大切に想っているけど、自分のことは大切に想われていないんじゃないか、と感じてしまったのは否めませんね。
最後に
一生のうちで、大切な人にプレゼントを贈ったり、お祝いの言葉を伝える機会って、思っているより少ないんですよ。
誕生日、旅行のお土産、家に遊びに行く時の手土産、◯◯祝い、など…。日常にありふれているようで、実は一生のうちでは簡単に数え切れるほどしかないんです。
だからこそ、大切な人には事あるごとにプレゼントや言葉を贈りたいし、贈って欲しいんです。
これ、「心が狭い」とか「器が小さい」とかそういう話ではなく、人として当然の感情ですよ。
…ってことで、プレゼントください!奢ってください!祝ってください!褒めてください!