桂歌丸師匠の死:「笑い」とは不謹慎をも無効化してしまう魔法である
出典:「笑点」司会を10年、桂歌丸さん死去…81歳 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
すでに公式がここまでやってるから、ちょっとやそっとじゃ不謹慎の入り口にも立てないぞ。心してかかれ。 pic.twitter.com/OZORB86E5i
— 中野 (@pisiinu) 2018年7月2日
桂歌丸師匠が死んでしまいました。
自分は10年以上まともにテレビを観ていませんが、それでも日曜の18時はかなりの頻度で『笑点』を観ていました。
突き抜けた自虐ネタと、笑点メンバーからの壮絶な「いじり」を上手くあしらう姿がもう見られないと思うと、非常に残念です。
自分はこの訃報を受けて、ご冥福をお祈りすると共に色々と思うことがあり、結果として師匠に嫉妬してしまいました。
理由は後述しますが、簡単に言うとネット民からの「歌丸死んだってよw」という声(反響)があったからです。
最後まで「笑い」を取るなんてズルい
『歌丸死んだってよw』
— hxwsxw(鳳翔) (@hxwsxw) 2018年7月2日
それだけで笑いが取れる師匠はやっぱりすげーと思います。
師匠の死に対しての世の中の反応から、「笑い」とは不謹慎をも打ち消してしまう最強の魔法なんだ、と確信しました。
「死」ってのは本来は寂しいもので、師匠の死はもちろん寂しいんですが、他の死と比べると明らかに雰囲気が違うんですよ。
「歌丸死んだってよw」なんてツイートしたら、普通は炎上案件でしょう。
しかし、師匠の死の場合では炎上するどころか、それが追悼の意味を持っている気さえします。
師匠が笑点の司会を務めていた時、笑点メンバーの皆さんはこぞって「ジジイ」「お墓」「葬儀」「遺影」などのネタで師匠を『いじり』倒しては、笑いを取っていました。
参考:歌丸ジェノサイドとは (ウタマルジェノサイドとは) ニコニコ大百科 スマートフォン版!
そして、師匠がその『いじり』を寛大な心で受け止めていたからこそ、不謹慎ながらも笑いが生まれていたんですよね。
大事なのは、高座に並んだときは先輩も後輩もないということ。これは新しく入ってきた人みんなに言いました。司会者の年が上だとか、落語芸術協会の会長だとか、そんなことは関係ない。みんな同じ噺家で、司会者対回答者なんだと。わたしをネタにしたけりゃ、もちろんそれでいい。徹底的にいじっておくれと。それはみんな心得ていましたね。
出典:(4ページ目)桂歌丸さん死去 生前語っていた「笑点」のすべてと「妻」とのやりとり | 文春オンライン
ああいった笑点でのやりとりから、「歌丸死んだってよw」という発言が不謹慎ではない雰囲気が生まれていると思っています。
そう、師匠にとっては「死」ですら『笑い』のネタだったんですよね。
そして、本当に死んでしまった今も、やっぱり『笑い』を取っているんです。
今度は笑点メンバーだけではなく、日本国民全体から、盛大に『いじり』倒されているんですよ。
…こんなのズルいっすよ。みんなから愛されている証拠だし、何より最高にカッコイイ死に様だと思いませんか?本気で憧れますし、嫉妬します。
師匠の死から、『笑い』とは不謹慎ですら無効化してしまうパワーがある、ということを学びました。もはや魔法だと思っています。
では最後に追悼の意味を込めて、以上で記事を締めさせていただきます。締めくくりはもちろん、この言葉で。
歌丸死んだってよw