「紙の本」「ゲーム(パッケージ版)」「CD」の存在意義について
結論から言うと、個人的には「存在意義はある」と思っています。
技術の進歩により、「モノである必要がないモノ」はデータ化されて、多くのモノはデータに置き換わりました。素晴らしい時代ですね。
「お金」「本」「ゲームソフト」「CD」なんかは、まさにその代表例ですね。
そんな多くのモノがデータに置き換わっていく時代の中で、ふと思うわけです。
「これからの時代に『モノがモノである必要』ってあるのか?」と。
コンビニではSuicaで決済した方が圧倒的に早いし、本やゲームソフトはダウンロード版であれば、発売日になった瞬間に部屋から出ずに手に入れることができます。
このように、データの方が圧倒的に便利であり、効率的なのは、周知の事実です。
それなのに、現状に満足してモノをモノとして欲し続ける人は、一定数います。
具体的には、「現金が一番安心」「紙をめくる感覚が好き」「発売日にお店にダッシュするのがゲームやCDの醍醐味」といった思考を持った人のことです。
自分は圧倒的にデータ肯定派であり、現金に限っては絶滅して欲しいと思っているほどですので、こういった思考の持ち主は苦手です。
ただ、本やゲームソフトやCDなんかは、モノという選択肢もありなんじゃない?とは思っています。
インターネットがなくても手に入る
データ版はダウンロードしないと手に入れることができないので、インターネット環境が必須です。
モノのデータ化が一気に普及しているのは、絶対的にインターネットの普及が背景にあるんですよね。
健全な現代人であれば、インターネットに繋がっていない時間なんて、シャワーを浴びている時か、寝ている時しかないと思います。
それだけ「インターネットが身近になった」ということですが、言い換えれば「インターネットに依存している」とも言えます。
不測の事態でインターネットが断たれた時、現代人の生活は破綻します。
たとえば、「3.11」のような自然災害ですよ。当時の自分が住んでいた実家周辺の地域は一晩停電し、携帯の電波も届かない状態でした。
自然災害の被災地では、インターネットは使えません。そもそも、電気が断たれてしまうこともありますからね。
復興されるまでの長い間、インターネットは断たれてしまいます。言うまでもなく、データ版の本やゲームやCDは、手に入れることはできません。
対して、モノの本やゲームやCDであれば、被災地に届けることができます(食料品やオムツなどに比べると優先度は低いですが)。
そういった娯楽品って、被災地の方の傷んだ心の拠り所になるので、支援物資として有益に機能するんですよね。
このように、自然災害などの不測の事態、いわば緊急事態であれば、モノであることの存在意義が発揮されますよね。
気軽に貸し借りできる
まずはじめにモノのメリットの1つとして挙げられるのは、「気軽に貸し借りできる」ことです。
好きなマンガや楽曲やゲームを親しい人にオススメしたくなるのは、人として当然のことです。
好きなマンガを友人に勧めたい時に紙のコミックを持っていれば、「これメチャ面白いから読んでみて!」と、気軽に手渡しで貸すことができます。
データ版では、そうもいきませんからねぇ…。一応レンタル機能は実装されていますが、手渡しするだけのモノに比べると、気軽さに欠けますね。
必要なくなったら売れる
モノの最大のメリットはズバリ「必要なくなったら売れる」ことです。
好きなコンテンツを買って、ひとしきり楽しんだ後は売って、そのお金で別の好きなコンテンツを買って…を繰り返すのは、無駄がなく賢い資産運用です。
モノは歴史ある文化ですから、中古市場も充実しているわけで。学生の頃、古本や中古ゲームにお世話になった方も多いのではないでしょうか。
一方で、まだ歴史の浅いデータの文化では、中古市場のインフラは整備されていません。
AppleとかAmazonが頑張ってるみたいですが、リサイクルショップのように文化として定着するのは、いつになることやら…。
まとめ:まだ完全データ化は難しい
ここまで解説してきた「モノの存在意義はある」と思っている理由を、以下にまとめます。
自然災害などの不測の事態を考えると、まだまだモノにも存在意義はあります。
データ版に破壊的イノベーションでも起こらない限り、完全データ化は難しそうですね。
モノに煩わしさを感じる人も、データ版に抵抗がある人も、必要に応じて臨機応変に「モノかデータか?」を選択すれば、万事解決ですね。
まぁ、自分はデータ版しか使いませんが…。