誰かを褒めることは、誰かの成功体験そのものになるということ。

優秀な人は、人をよく褒めます。

「褒められる」という体験こそが「成功体験」の本質であり、それが人の成長に繋がることを、彼らは知っているからです。

毎日がんばっている勉強・部活・仕事・趣味のことで「褒められる」と、人は強い幸福感で満たされます。

ドーパミン・ブシャーで、活動を継続する上での最高のモチベーションになります。

そして、それは同時に「◯◯を△△したら◇◇さんに褒められた」という、具体的な成功体験になります。

これがあることで、人は次の成功体験を目指して「考えて」「工夫する」ようになるんですよね。

たとえば「勉強したら成績が良くなって親や先生に褒められた」としましょう。すると人はもっと褒められるために、さらなる高みを目指します。

ただ授業を聞いているだけではなく、予習・復習を習慣にしたり、参考書を買ったり、塾に行ったり。

あらゆる方法を駆使して、学力を底上げしようと躍起になります。「褒められる」というドーパミン・ブシャーな体験を求めて。

対して、「褒められる」という成功体験がない人は、現状の勉強方法が正しいのか?間違っているのか?が判断できません。

成功体験が得られない時、自分で自分の問題点を「考えて」「工夫する」ことができる人はこの限りではありませんが、そうではない人も多いです。

そんな人は、褒められもしなければ、貶されもしないような宙ぶらりんの状態では、何をしていいか分からず、同じ方法を繰り返し続けます。

同じ勉強を繰り返しているだけでは、当然ながら次の成績は悪くなってしまいますからね。

「褒める」という行為は、そんな人に救済の手を差し伸べることだと思っています。つまりは人助けなんですよね。

これらが成功体験から「考えて」「工夫する」ようになる根拠です。

しかし、いくら「考えて」「工夫する」ことができたとしても、成績(成果)が上がらないことだってもちろんあります。

そんな時も、過去の成功体験があれば、それを基に「失敗体験の分析」ができるんですよね。

成功体験に基づく失敗体験の分析

  1. 現状の把握:状況の確認
  2. 前回(成功体験)と比べて何が悪かったか?:原因の究明
  3. 次はどうするか?:具体的方策の検討

「失敗から学ぶ」という言葉の背景には、必ず「成功体験」があるということを忘れないでください。

このように、人は「成功体験」をもって成長することができます。

また、人を褒めることで「成功体験」を提供することができます。

そして、人を褒めることで「◯◯を△△したら◇◇さんに褒められた」という、誰かの成功体験そのものになります。

冒頭で書いたことの繰り返しになりますが、「褒められる」という体験こそが「成功体験」の本質であり、それが人の成長に繋がります。

褒められるように毎日がんばること、人の良い所やがんばっていることに気づいて褒めることは、意識的に行っていきたいですね。

ただし、人を褒める場合、TPOをわきまえるのは必須ですけどね。


余談:褒められることで自己顕示欲や承認欲求が満たされているようでは何の進歩もない

ただし、自己顕示欲や承認欲求などの欲にまみれただけの人を褒めても、何の進歩もありません。

彼らは「褒められた」体験を自慢したいだけの思考停止状態です。

そんな人を褒めても、過去の栄光にすがるためのエピソードを与えてしまうだけですからね。

しかし、これは「そこまでの人」であることを見抜くための線引きができるとも言えますね。

欲にまみれ過去の栄光にすがり続ける自分語り人間は、非常にウザいですが実害はないので、エサを1つ与えるくらい安いもんでしょう。

そのエサに一生満足して、我々の邪魔さえしてこなければ、それだけで十分です。