情報収集とは自分の無知を知る作業

実家に帰ったら祖父が「インフルエンザは絶対にかからないと思ってればかからない」と豪語していたので、絶句しました。

情報を得ようとせず、感情論で根拠のない発言をするような思考停止状態にはならないようにしないとな、と反面教師にしている休日の午後です。

無知なのに自信満々で独自の見解を述べている人って、かなり痛いですよ。見ていて恥ずかしいです。

勉強しないから自分の無知に気づかない

なぜ「無知が悪」なのかって、そもそも自分が無知であることを知らないからなんですよ。

勉強したり、情報を得る努力をすれば、自分の無知を知ることができます。「あ、俺はこんなことも知らなかったんだ」ってね。

知らない知識に触れることで初めて、自分の無知を認識できます。勉強と情報収集は、一生やめてはいけませんよ。

無知のままの議論は相手に失礼

無知のまま議論に臨むのは、有識者にとって失礼極まりないですよね。「何しにきたの?」と思われても仕方ないです。

せっかく議論の場を設けたのに、無知の人のせいでわざわざ説明しなければならず、不毛な時間が少なからず発生します。

また、相手が何を言ったところで理解することができないので、まともに議論することなんて、とてもできません。

「時間の無駄だ!帰る!」となっても致し方なし。事前に情報収集しておくことくらいできたはずなのに、それをしなかったのは相手にとってとても失礼なことですよね。

かなり話題になったこれとか、まさに典型例。何にも分かってないじゃん…。

ひろ:まぁ、それはでもそういう風にしか理解ができない知能の問題だと思んですけど。

堀江:まぁ、そうだな。

出展:【完全論破】TVタックルでのホリエモンとひろゆきによる論破祭りを検証してみた! | 京野トピオのハッピーライフハック

お二方、本当にお疲れ様でした。まともな議論ができている時間の方が短かったですよね、これ。原始人と現代人が話しているような番組でした。

知らないことは悪じゃないよ

「無知」は悪ですが、「知らない」は悪ではありません。

「無知」は自分が無知であることを知らない思考停止状態。対して「知らない」は無知であることに気づいた状態です。「あ、これ知らない」ってね。

その後にググって情報収集すれば、それはもう無知ではありません。

情報収集とは、知らないことを知る作業。世の中には知らないことが溢れていて、こうしている今もどんどん増え続けています。

それなのに、自分はなんでも知っていると思い込み、情報収集を怠って知らないことを放置している状態が無知であり、悪なんですよ。