「今の仕事に誇りを持てるか」を考えたら続けるべきか辞めるべきかが分かった

自分(筆者)への戒めという意味合いが強い記事ですので、シュウヘイに興味のない方はブラウザバックしてください。

「この仕事に誇りを持っています」。

最近、ふとした場面でこの言葉を耳にしました。随分と久しぶりに聞きましたね。

そして次の瞬間には「今の仕事に誇りを持っているのか?」について自問自答している自分がいました。

答えは(食い気味で)Noでした。

中学生の頃に親にガラケーを死ぬ程せがんで買ってもらい、前略プロフという日本のSNSの先駆けで「ネット上の人気者」の存在を知り、その人たちに憧れて始めたホームページ制作。

これが寝食を忘れるくらい楽しくて、当時は1日中ガラケーでプログラミングしながらホームページを作っていました。

当然学校の成績は(情報以外)どんどん悪くなっていきましたが、この体験は後に「プログラミングしながら生活したい」という夢へと変わり、それは晴れて叶うことになります。

そんなこんなで、自分は夢を叶えてシステム開発に従事しながら生活をしています。

しかし、夢を叶えたはずの自分が「今の仕事に誇りを持っているのか?」の問いにNoと即答してしまうのは、一体なぜなのでしょうか。

それを考えた時に思い浮かぶのは、やはり「理想と現実のギャップ」でした。

やりたかった仕事だけど、残業や休出が多すぎる。または、給料が安すぎる。

仕事の内容は好きだけど、上司や顧客との人間関係がうまくいかない。

仕事は楽しいけど、会社の経営方針に賛同できない。

これらの理由から、夢を叶えても幸せになれない人が多いです。そして自分もまた、その1人でしょう。世の中の多くの人が、理想と現実のギャップの中で暮らしています。

余談ですが、最近YouTubeで話題のMEGWIN TVの件でのファルコン氏とメテオ氏に強い共感を覚えています。

ただ、別にこの仕事や会社が嫌いになったとか、そういうことは一切ありません。

定期的に旅行したり、普段から良い服を着たり、時には贅沢をしながら普通に生きていけるくらいに生活は潤っているので、給与面でも特に不満はありません。

しかし、誇りを持てない以上はこのまま仕事を続けたところで、生活はできても自分は1ミリも成長できません。

それにこのまま惰性で仕事を続けてしまったら、30代・40代・50代…になってから必ず「あの時こうしていれば…」と後悔するのは目に見えています。

そんな状態で生活を続けることに意味はあるのでしょうか。

そう考えると、仕事を続けるべきか?辞めるべきか?が明確になりました。

今の生活にしがみつくために仕事を続けることは、安定は手に入っても凡人であり続けること・自由を捨てることを意味します。

今やりたいこと・今しかできないこと・今からやらないと叶わないこと。それらを全てドブに捨てるのと同じです。

「今の仕事に誇りを持っているのか?」の問いにNoと答えると同時に、安定なんか投げ捨てて凡人から抜け出す可能性と、自由を手に入れたいと願う自分に気づきました。

実際に行動してから記事にしようと思っていましたが、先に書いてしまいます。

私シュウヘイは自由を手に入れるために、近い将来、仕事を辞めます。

そして自由を手に入れて本当にやりたいことをやり続けて、「今の仕事に誇りを持っているのか?」の問いにYesと即答できるようになります。

「今日は仕事で疲れたからまた明日やろう」

「明日から仕事だから来週末にがんばろう」

「このままだと何も成し遂げなれないんだろうけど、我慢していれば生活に不満はないし」

…とか、仕事を理由に努力から逃げようとする自分が本ッ当にカッコ悪くて大ッ嫌いですからね。

まぁ生きていればどうにかなるんですから、無職やフリーターになったとしても自分を卑下することなく、ゆるーく全力で人生を謳歌するつもりです。

…長くなってしまいましたが、「今の仕事に誇りを持てるか」を考えたら続けるべきか辞めるべきかが分かった、というお話でした。

何の参考にもならない記事でしたが、最後まで読んでくれたあなたに感謝を申し上げます。本当にありがとうございます。

P.S.
実は自分、今年度の出身校のパンフレットに載せていただいているので、少なくとも今年度中は会社に在籍しなくては、と思っていましたが…。

もしかすると「ごめんなさい」しないといけないかもしれませんね。