HIDEの演奏を聴くのが辛い
実在する(した)ギタリストの中では「X JAPAN」の『HIDE』が一番好きです。
トレードマークのピンクの髪にド派手なメイクやファッションで身を包み、ライブ中に不敵な笑みを浮かべながら激しいパフォーマンスを披露する彼の姿は、当時の自分には衝撃でした。
正直、初めて見た時は「なんだこの人」と思いましたが、その際に与えられた印象は強烈なものがあり、気づけば彼に魅了され、自然とファンになっていました。
この通り自分は『HIDE』のファンですが、彼の楽曲をあまり聴き込んでいません。ファンなのに実は全然詳しくないんです。
それには理由があります。
厳密に言うと「聴き込んでいない」んじゃなくて「聴き込めない」んですよね。
今回はそのことについて書いていきます。柄にもなくネガティブな内容ですが、最後までお付き合いしていただけたら幸いです。
一度も会ってない、一生会えない
自分が『HIDE』の存在を認識したのは中学生の頃で、その頃には彼は既にこの世を去っていました。
つまり自分は彼のパフォーマンスを肌で感じたことはないし、今後も絶対に不可能です。
彼の楽曲を聴いて感動するたびに「でも絶対に生では聴けないんだよなぁ…、聴いたこともないんだよなぁ…」という思いがよぎります。
彼を感じるたびに、一生「HIDE童貞」を貫かざるを得ない状況を認識してしまうんですよね。
そして辛くなり涙が溢れてしまうので、すぐに聴くのをやめてしまいます。
これが彼の楽曲を聴き込めない理由です。もっと知りたいのに、彼の素晴らしいパフォーマンスが痛いんですよね。状況的に。
高すぎる「超えられない壁」の存在
自分にとって『HIDE』は最高のギタリストであり、それを超える存在は今のところありません。
もちろん、好きなギタリストはプロアマ問わずたくさんいます。
ただ、自分の中には『HIDE』と好きなギタリストの間に「超えられない壁」が存在します。
「超えられない壁」の先にいる彼はもうこの世にはいません。…この現状は、あまりにも切なすぎます。
『HIDE』より巧いギタリストはたくさん現存するのですが、ギタリストとしての魅力ってのはテクニックだけの話ではないんですよね…。
最愛の妻に先立たれてしまった寡男の方の心境に近いのでしょうか。少なくとも状況は似ていると思っています。