「普通」「みんなと同じ」「平凡」を否定する奴、だいたいそれ以下。

「普通」「みんなと同じ」「平凡」を否定する人に会うと、だいたひかる氏の『「みんなと同じ事はしたくない」 という、みんなと同じセリフ。』という金言を思い出します。

自分と「普通」「みんな」「平凡」を天秤にかけて比べている時点で、その人はその付近に立っています。同じ土俵ってことですね。

「スゴい」「みんなと違う」「非凡」な人は、そもそも「普通」「みんなと同じ」「平凡」と自分を比べません。土俵が違うので、視界にすら入らないんです。

良くも悪くも、意識するのはそれらと同じ土俵に立っている証拠なんですよ。

「アンチに反応したらその人も同レベル」と言われるのは、このためです。

逆に上を見て「自分もあそこまで登っていくぞ!」と思える人は、上の人と同じ土俵に登りつつあります。この場合はポジティブな意味になりますね。

「普通」「みんなと同じ」「平凡」を否定している時点でマイナスからのスタート

そもそも「普通」「みんなと同じ」「平凡」を否定している時点で普通の人の仲間入りなのですが、さらに大衆にイチイチケチを付けている時点でそれ以下の存在に成り下がっています。

要はマイナスからのスタートですよ。

ミーハーな人とは一緒にいて楽しいですが、流行や王道を否定する人とは1秒たりとも一緒にいたくありませんよね?そういうことです。

そういう人は必ず社会から淘汰されます。流行によって新しい時代は生まれていくのに、それを否定しているんだから、当たり前ですが。

「俺らの時代はこうだった!」

「最近の音楽はクソ」

「◯◯(会社やミュージシャン、アニメなど)は昔の方が良かった」

…と思ったら、新時代の人類としてお終いですよ。

新しいもの(その時代のスタンダード)を受け入れられない姿勢は人をダメにします。

このブログでは繰り返しお伝えしていますが、老害はこうした思考停止から生まれるんですよ。気をつけましょう。もちろん自分も。

最後に:いつまでも水平線上や下ばかり見ないで上を見よう

いつまでも同じ目線または下にある「普通」「みんな」「平凡」ばかり意識していないで、もっと上を見ましょうよ。

あまりにも遠く高いところを見ても良いし、届きそうで届かないくらいの現実味のあるところを見ても良いです。

自分と同じレベルまたはそれ以下を見て比べているだけでは、一生成長しません。

下を見て安心するのは思考停止です。ってか、そんな人生つまらなくないですか?

自分より上を見て、自分の伸びしろを確認しながら常に成長していけるからこそ、人生は面白いんですよ。

「上には上がいる」って幸せなことですよ。自分にもそこへいけるポテンシャルがある証拠ですから。

その点、世界ランク1位のスポーツ選手はもしかしたら不幸なのかもしれませんね。自分自身と戦うしかないですから。

ここまで話してきた通り、自分は上しか見ませんね。

明らかに自分より劣っている人や、礼儀礼節を欠いた悪口や陰口を言ってくる人は眼中にありません。そういう人とは一切の関係を断ちます。

即ち、自分がプライベートで関わっている全ての人は、自分より優れているところがたくさんある人たちだけです。

うーん、幸せ者ですよ。これからも宜しくお願いします。お互い高め合っていきましょう。

いつか抜かしてやろうと思っているし、絶対に抜かされまいとがんばる。こんな仲間内での言葉なき攻防戦が楽しくて仕方ないんですよね。