小1熱中症から学ぶ「行きたくない」(嫌がる)気持ちを汲み取る大切さ

子持ちの仕事仲間からの提言によると、小学校では水筒の中身を飲んでいいのは登下校の間のみで、(体育含め)授業中に飲むのは禁止らしいです。

…何それ!?実質的に意味なくね?教室にはエアコンがないんだから、室内で熱中症になるリスクだって孕んでいるのに。

危機感が足りないですね。

日本はいつもそう。誰かが病に倒れたり、大ケガをしたり、死んでしまったりしない限り、具体的に行動しません。

ちきりんさんのご指摘の通り、ジジイとババアの「知識が思考を妨げる」んですよね。

「ずっと大丈夫だったから」「いままでそうだったから」は思考停止です。あなたの昔ながらの「常識」は、今となっては「常識」ではありません。

世の中は常に変わっているんですから、よく考えて新しい情報をインプットしまくって、知識の新陳代謝を促すことが大切ですね。

それにしても、小1の子の死が本当に悔やまれます…。人生初の夏休みを楽しみにしていただろうに。

嫌がるのは防衛本能の表れ

「学校に行きたくない」「仕事したくない」といった『嫌がる』気持ちは、自己防衛の一種だと思っています。

学校や会社によって与えられる肉体的または精神的な苦痛から逃れようとする、防衛本能の表れです。

その『嫌がる』気持ちを「みんなも頑張ってる」「学校に行くのは当然」「せっかく(大学や会社)に入ったのにもったいない」とかいう謎理論で押し殺してしまうのは超危険です。

結果として、学校の授業のせいで熱中症で死んでしまったり、いじめによって自殺してしまったり、仕事のせいでうつ病になってしまったりなど、最悪な結果を招きます。

自分の子供や友達や恋人が何かを嫌がっていて悩んでいたら、変な同調圧力や時代遅れの常識をふりかざすのではなく、正しい情報収集と思考をもって、真摯に対応してあげてください。

身近な人に言われたことって、良くも悪くもメチャ響くんですよ。

本当に嫌だったとしても、親に「最後まで頑張りなさい」と言われてしまったら、普通の子供は最後まで頑張ろうとしてしまいます。

そして、今回のように最悪な結果になってしまう場合だってあります。

だからこそ、言葉選びやその方向性には細心の注意を払わないと、相手を壊してしまうトリガーになってしまいかねません。

たとえば、親であるあなたが学校に行くことを嫌がる子供を、理由も聞かずに無理やり送り出したとしましょう。

その結果、子供がいじめによって自殺してしまったら、あなたは子供の死に加担したことになりますよね。

子供が『嫌がる』ことで救難信号を送っていたにも関わらず、それを「サボりグセ」などと認定して何もしなかったんだから、いじめをした子供やその親を叱責する資格はないです。

いじめを事実を知りながらも止めずに傍観しているのも「いじめに加担している」ことになるのであれば、子供のSOSを無視した親だってもちろん同罪ですからね。

全ての人に、そのことを認識して欲しいですね。