最近「死」について考えていました

別に「死にたい」とは思っていないし、病んでいるわけでもないのですが、最近「死」について考えていました。

月日が経つにつれ、自分はもちろん友達や親や親戚が徐々に年老いていく姿を見ると、「みんな死に向かっているんだなぁ」と当たり前な事実を再認識します。

自分を産んでくれた親も、その親を産んでくれた祖父母も、大好きな友達も、そして自分も、いつか必ず死んでしまいます。

もちろん、それは必ずしも生まれた順番に訪れるとは限りません。祖父母より先に親が死んでしまったり、親より先に自分が死んでしまう可能性は大いにあります。

今目の前にいる大切な人が死んでしまったら、自分はどうなってしまうのか?

自分が死んでしまったら、この魂はどうなってしまうのか?残された人はどうなってしまうのか?

冒頭に貼った動画の中に登場するような多くの死に触れている方の話を聞いたり、自殺者の遺品・遺体を見ていると、そんなことを考えます。

「天国」「地獄」「前世」「後世」の説は信じられない

死後の世界といえば、世の中では「天国」「地獄」「前世」「後世」の説が大人気というか、多くの物語や歌詞にも登場するほど誰もが信じ込んでいる(?)説ですね。

しかし、自分はこれらに賛同できないというか、信じられないんですよね。

だって、今生きている人は誰も死んだことがないじゃないですか。

それに、死んでしまった人はこの世では二度と目を覚まさないんですから、「天国」「地獄」「前世」「後世」の実体験に基づいた話は皆無です。

あの手の話は、「どうかそうであって欲しい」と生きている人が願望や妄想を自分たちに都合が良いように仕立てた作り話としか思えないんですよね。

思想や宗教は自由なので信仰している人を否定するつもりはありませんが、自分は具体的なデータや学術的根拠がないと何も信用できない現実主義者なので、あの手の話は信じません。

死んだら自分という存在はこの世から消えて、もしかしたら残された人が悲しんでくれたり、自分の意思を受け継いでくれる、ただそれだけです。

死んでも人の心の中では生き続けられる

アバンティーズのエイジくんの死についての記事でも書きましたが、人は自分の死に時を選べません。

でも、死ぬまでに自分にできることを最大限にやっていれば、より多くの人に「自分が存在していたこと」を知らしめる(認知度を上げる)ことができます。

認知度が高ければ、たとえ存在が消えても人々の心の中に生き続けることができますよね。

人気マンガ「ONE PIECE」でトニートニー・チョッパーの師であるDr.ヒルルクが放った名言を思い出します。

人はいつ死ぬと思う?

心臓をピストルで打ち抜かれた時…違う

不治の病に犯された時…違う

猛毒キノコのスープを飲んだ時…違う

人に忘れられた時さ

出典:ONE PIECE カラー版 16 (ジャンプコミックスDIGITAL)

そう、命があろうがなかろうが、忘れられなければ心の中で生き続けているし、忘れられたら死んでしまうんですよね。

最後に

ここまで書き綴ってきましたが、ぶっちゃけ生きているのに死ぬことについて考えるのは時間の無駄なので、2019年に「死」について考えるのはこれっきりにします。

平成最後であり、新年号が始まる年なので、我々は自分の人生を楽しくすることに集中しましょう!