生き物の死とは、彼らがくれる最後のプレゼントなんだと思う

大切な人やペット(動物)の死に直面し、悲しみに打ちひしがれているあなたへ。

まずは個人的に心の底から尊敬している人物である、BUMP OF CHICKENのボーカル&ギターの藤原基央さん(通称:藤くん)の言葉を贈ります。

人の死っていうのはどんな形であってもその人がくれる最後のプレゼントなんだと思う

出典:【名言集】バンプ藤原基央の哲学的で人間の真理を突いた深い言葉 « ぼくりりBUMP OF CHICKEN歌詞解釈

お察しの通り、このブログのタイトルは藤くんの言葉のパクリオマージュです。自分はこの言葉に深く共感しています。

今回は死に直面して悲しみに打ちひしがれているあなたに向けて、藤くんの言葉の個人的な解釈を書いていきます。

「死がプレゼントとはこれいかに」と思った方は、ぜひ読んでいってください。

なぜ「死」は悲しいのか?答えは「大切な存在」を失うから

実は誰でも、毎日なんらかの「死」に直面しています。

肉や魚を食べることで自分たちの生活には牛・豚・鶏・魚たちの死が伴いますし、ニュースアプリを見れば嫌でも事故・事件・天災による死者の情報を目の当たりにしますからね。

そう、「死」ってのは、実は自分たちの生活の中に蔓延しているんです。

それなのに、なぜ自分たちは悲しみに打ちひしがれることなく、毎日を過ごせるのか。

それは「死」そのものは別に悲しくないからなんですよね。「死が悲しい」という感情の正体は、「大切な存在を失った悲しみ」だと思っています。

※ここからは「死の悲しみ」=「大切な存在を失うこと」という前提で話を進めます。

人間は失って初めて気づく生き物:人は死の悲しみを通して初めて「本当の大切さ」を知る

人間とは、失った時に初めて本当の大切さ(真価)に気づくマヌケな生き物です。

皮肉なことに、死に直面する瞬間に初めて、一番大切に思うことができるんですよね。

生前にいくら大切に思っていたとしても、この瞬間の激情には勝ることはありません。

しかも、何度失っても絶対に学習できないんですよ。

自分も大好きな動物たちと何度も死別してきましたが、生前の「大好きだよ」「ありがとう」は死に直面した瞬間のそれに比べたら、いずれも本当にちっぽけなものでした。

生きているうちに想いや感謝を伝えようとしても、とても伝えきることはできません。

大切な存在の死から、その伝えきれなかった想いが悲しみや涙として具現化し、最後に本当の大切さを教えてくれるんです。

…最高のプレゼントですよね。

本当の大事さは 居なくなってから知るんだ

出典:BUMP OF CHICKEN「supernova」

orbital period

orbital period

大切な存在そのものは失っても、記憶は消えずに宝物になる

生き物は死んでしまったら、肉体と精神は消えてしまいます。もちろん、二度と会うことはできません。

もう会えないのは悲しいですが、一緒に過ごした日々の中で作ったお揃いの思い出や貰ったものは、自分たちの記憶から消えることはありません。

大切な存在だったからこそ、それらに想いを馳せることができるので、単なる「記憶」ではなく「宝物」へと変わります。

悲しくなんかないんですよ。ちゃんと悲しくなれてるんだから。

それに、「もっとこうしておけばよかった」と思えるのって、本当に幸せなことですよ。

過去を後悔できるような大切な存在があったなんて、素晴らしいじゃないですか。

生きている上で「失ったら悲しくなれるほど大切な存在」があることほど、頼もしいことはありません。

たとえ肉体と精神が消えてしまったとしても、彼らが確かに存在していたことは、自分たちの心の中にしっかりと刻まれています。

月並みな言葉ですが、大切な存在は心の中で生き続けているんですよね。

まとめ:今日一日くらいは思いっきり泣こう

今回の要点まとめ

  1. 大切な存在を失う悲しみが「死の悲しみ」の正体
  2. 死に直面した瞬間の激情に勝る生前の想いは無し
  3. 死から「本当の大切さ」を教えてもらえる
  4. 大切な存在は心の中で生き続ける

大切な存在の死に直面して、悲しみに打ちひしがれているあなたへ。

今日一日くらいは、思う存分悲しんで、泣いてください。

今回お伝えした通り、その激情こそが、彼らからの「最後のプレゼント」なんですよ。

たくさん悲しんで、後悔して、思い出して、想って、感謝してあげてください。

本当の大切さはきっと、そこにしかありませんから。