いい歳してコーヒー飲めないとか…いいね!

飲食店を利用すると「これ普通だれでも好きでしょ?」的な空気で出てくる(もしくは注文される)食べ物や飲み物ってありますよね。

たとえば食後のコーヒーとか、宴席の生ビールとか。それらを嗜むのが当たり前かのようにサービスとしてコーヒーが出てきたり、宴会の幹事は「生以外の人?」と聞いてきます。

別にこれに関しては文句はないのですが、「食の好みまで常識的な枠組みに当てはめるのって違和感あるなー」とは常々思っています。

「コーヒー飲めないとかお子ちゃま」
「乾杯で生ビール以外を頼むとか非常識」

時としてこんな空気を感じることすらありますよね。これには頭の上に疑問符が浮かびます。

出典:ねんどろいど しずえ

だって、ただの食の好み、またはその時の気分じゃないですか。

あんなに苦いんだからコーヒーやビールが口に合わない人だっているし、たとえ好物だったとしても気分によっては飲みたくない時だってありますよ。

「乾杯のビール」や「食後のコーヒー」が美味しいのはその通りですが、それに盲目的かつ思考停止的に従ったり、周りにその意見を押し付けるのはキモいってことです。

別に法律で決まってるわけでもないのに、何でそれを正義だと信じ込んで、かつ周りにまでそれを押し付けるんでしょうか。視野と心が狭すぎる証拠ですかね。

このブログでは度々発言していますが、そうやって悪しき風習や自分だけの常識にとらわれて自分を変えようとせずに、現代を生きる若者の足を引っ張る輩のことを、人は老害と呼びます。

一度老害を発症すると一生治らないので、彼らからは距離を置く必要がありますね。

意味のないことで説教してきたり、本当は良いことなのにさも悪いことのように「俺らの時代はこうだった」と否定してきたりする人は、相手にしなくていいですよ。

だからこそ、大人になってもコーヒーが飲めないことを公言したり、乾杯をビール以外で迎える人に対して、自分は「いいね!」と思います。

老害からのアンチテーゼを覚悟して、さらにスルーする勇気を持っての発言や行動ですから。時代を変えるために必要な逸材ですよ。

ブラックのコーヒーが美味しいとか、乾杯のビールが美味しいことは大人の証拠ではありません。ただの好き嫌いです。

我々はそのことを念頭において、次の世代の若者に接することを意識しましょう。それだけで老害という不治の病の予防になります。

育ってきた時代が違うんですから、各々の常識や正義にギャップがあるのは当たり前です。

お互いにそれを認め合って尊重できる関係を築くことが、新しい時代を生きていく上で必要な能力なのではないでしょうか。

…ということを、今年46歳の元SMAP中居正広さんが「コーヒー飲めない」と言っているのを聞いて、ふと思いました。コーヒーが飲めたい46歳、かわいいですね。