無能な体育教師にしか出会わなかった人生なんだけど同じ人いる?
足が遅かった頃、中学校の体育教師に短距離苦手な奴が集められたことがあった。
— 梧桐彰 (@AkiraGoto_kkym) 2018年5月27日
また説教かと思ったところ、フォームを細かくチェックされて全員が1秒以上タイムが縮まり「これが体育だ」と言われた。
あの経験がなければ運動が得意になる日は来なかったと思う。
このツイートを見た時、「あぁ、自分は体育が苦手だったんじゃなくて、体育教師が無能だったんだ」と確信しました。
こんな先生に教わりたかったなぁ…。
体育で教わったのは種目ごとのルールくらいしか記憶にない→具体的に何をすればいいか?を指導しない体育教師の怠慢
いくら思い返しても、体育教師から「足が速くなるには?」「上手くパスを回すには?」「効果的なレシーブとは?」といった、具体的な指導を受けた記憶がありません。
彼らからは「ハンドボールは3歩までボールを持って歩ける」「バスケは2歩」くらいしか教わっていないです。
もう確信に変わったのですが、自分が通っていた学校の体育教師は、例外なく無能だったということが分かりました。
証拠として、自分の体育教師のイメージは「生徒に勝手にやらせておいてただ立って見ているだけの給料泥棒」という偏見で定着しています。
体育は本来的に誰でもやる気がある(特に男子)
体育とは「デキればモテる、人気者になれる」教科であり、非常に重要なステータスなんですよ。
よって、本来は誰もがやる気に満ち溢れているはずなんです。
ただ、いくら生徒にやる気があっても、無能な体育教師は具体的なフォームや上達のための練習方法を教えてくれません。
そのため、スポーツ経験の少ないorない人は何をすればいいか、いつまでたっても分かりません。
こうして状況的にスポーツ経験のある人との格差を痛感せざるを得なくなるので、自分は「スポーツが苦手」と勘違いしてしまい、体育が嫌いになってしまうんですよね。
これは体育教師の怠慢に他なりません。
それに「スポーツ(体育)が苦手」なことって、年頃な学生にとってはメチャコンプレックスになるんですよ。
体育教師の怠慢によって、果たして何人にコンプレックスが生まれてしまったか。実は自分たちは「体育が苦手」だったのではなく、無能な教師の被害者だったんですよ。
アホな体育教師ども、給料分の仕事しろやボケ
考えるだけで腹立たしいですね。今後はなるべく考えないようにします。はぁ。
病弱でもない限りスポーツは誰でも上手くなれる
自分はスイミングスクールに通っていました。
当時はスイミングスクールに通うことが大嫌いでしたが、きちんとフォームを教え込まれたので、大嫌いながらもそれなりには上達しました。
スポーツが苦手ながらも泳ぐことだけは周りの人より遥かに上手いので、スポーツ的な観点では海やプールにいる時だけ、本気でハッチャケることができます。
そう、ちゃんとした指導を受けることができれば、ある程度は上達するんですよ。たとえ嫌々やっていたとしてもね。
それが「モテたい!」「人気者になりたい!」という欲求をトリガーに、やる気に満ち溢れている体育であれば、尚のこと。
ちゃんとした体育教師から、ちゃんとした指導を受けることができれば、健全な学生であれば誰もが「体育が得意」になれたはずなんですよ。
自分は実体験からも、これを確信しています。
だって、歌が大好きで声楽家(プロ)の元に習いに行ったら、2年足らずでアマチュアながらソロで歌って1,000人以上から拍手をもらうことができたんですよ?
プログラミングにハマって進学先の先生や就職先の先輩に習ってコードを書き続けていたら、今では文章よりプログラムの方が自分の感情をより表現できるのではないか?と思うほどに上達したんですよ?
はじめは何もできなくても、やる気と信念を持って続ければ、いつの間にか上手くなっているものなんです。
もちろん体育だって同じように、正しい指導を受けることができていれば、必ず上達できたはずじゃないですか。
向き不向きはありますが、健康な身体を持ってすれば、どんなことでも必ず上達できるんですよ。
どう考えても、それを指し導けなかった体育教師の罪は重いですよね。しかも、学生時代のコンプレックスとトラウマという、特大のおみやげ付きです。
あなたの学校の体育教師はどう?どうだった?
ここまで書いてきた通り、自分の通っていた体育教師陣は例外なく無能でした。
これが普通なのか、はたまた特殊なのか、自分には分かりません。御察しの通り、自分は無能な体育教師にしか出会ったことがないからです。
皆さんの通っている、または通っていた学校の体育教師は、冒頭で紹介したツイートの体験のように有能でしたか?もしくは、自分の体験のように無能でしたか?ぜひ教えてください。